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【時事評論2020】

AIの適切利用

2020-07-24
  AIが近年急速に実用化を見せ始めている。アラン・チューリング(1912-1954年)がAIを定義し、ジョン・マッカーシー(1927-2011年)が「AI」という用語を使い始めたのは1956年のときであった。2006年にはディープラーニング(深層学習)というAI学習法の発明があり、2012年に花開いた。これがその後の2016年のAI元年と呼ばれるような成果をもたらした。今やゲームだけに限らず、AIの判断を人間が参考にする時代になった。未来世界では人間の判断の不確実性を棄て去り、司法政治の分野でもAIの合理的な判断が最大に評価されることになるだろう。
 
  だが現代ではまだその応用範囲が極めて狭く、急速に拡大しているとはいえAIの本来の最大の特徴を生かそうとはしていないように見える。これまで人間が判断していたことを、AIという機械に代わりにやらせようという程度の発想しか見られないのは残念なことである。ノムはAIは未来的には専門化総合化の方向に進むのではないかと考える。「専門化」とは特定の分野に限って最適判断を下すことのできるAIを開発することを指し、「総合化」とは人間と同じようにあらゆる知的データを学んで、あらゆる事象について最適判断を下せるAIを開発することを指す。専門AIは比較的手軽に利用可能であり、装置の極小化も可能であろうし、何よりも安上がりで大量生産できるので普及が容易である。総合AIはスーパーコンピュータ並の能力が要求されると思われることから、中枢に置かれることになるだろう。
 
  最初に専門AIにやらせたいのは司法判断である。政治的影響を受けずに判断できるだけでなく、裁判官や裁判員の持つ人間としての感情的側面、そして経験の違いを排除できるからである。司法AIには六法全書を全て記憶させるだけではなく、判例とその時代背景を考慮させることもできる。理想的に考えれば、人間の持つ道理性や正義を重んじる心情なども判断材料に組み入れることができれば良いだろう。さらにAIの進化を考えれば、未来社会が法律主義に基づくものではなく、道理主義に基づく社会になれば、まさに総合AIがその最適解を与えてくれる可能性も期待できる。AIの判断は学ばせるデータに依存していることから、専門AIや総合AIの判断はあくまでも最良の判断材料の一つにすべきであって、AIの判断そのものに依存することは危険である。つまり最終的には人間が判断に責任を持つことが重要だと思われる。
 
  現代のAI開発はまだ、AIに判断を依存しても問題のないような事柄しか扱っていない。それはそれで非常に有難いことであり、すぐに実用化が可能であることから大いに利用すべきである。だがもっと重要な事項、たとえば軍事情勢判断や戦略構築にAIを活用することは、かなり高度な課題であるが非常に有意義なことである。司法判断などはまだ容易な方であり、将来は人間の人生相談に応用されていくであろう。いわば人にとって、非生物的友人(友達やペットとは違う知的友人)が得られるということになり、人にとって非常に有難い存在となるだろう。言ってみれば、未来社会はAIとの共生・共存の時代となるだろう。
 
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