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【時事評論2020】

ストレス論(12.6追記)(3749文字)

2020-11-30
  この世の中はストレスに満ちている。そして人間はそのストレスを増大することに躍起になっているように見える。ストレスを少なくするような方向に創意工夫していけば良さそうなものなのに、政治や外交やニュースはストレスを作るようなことばかりをやっているように見える。普通に考えてもそう思えると思うのだが、筆者の自然主義の視点に立つとなおのこと、人間が我欲やイデオロギー、そして権利や主権のためにストレス増大の方向に向かっているように見えるのである。どのような事象にそれが表れているか、どうしてストレスが増すのか、この問題をどう解決していったらいいのか、そのために必要な考え方(思想)はどのようなものであるべきか、を考えてみた。この項では現実の世の中を俯瞰しながらも、哲学的思考を試みることになる。頭を空にして根源的なところから思考を出発させてみてほしい。なお本項では概論とし、医学的な観点については次項()に譲ることにする。
 
  人間は同じ事象に遭遇したとき、人によってそれをストレスと感じるかどうかが異なる。たとえば今日予定していた仕事ができなくなったとき、多くの人はイライラを覚えるだろう。今やらなければならない必要なものであればあるほど焦燥は募り、ストレスを増すことになる。一方それを運命と受け入れて、「まぁ、仕方がない」と諦めて、他の次善の仕事に取り掛かる人は幸いである。彼にはストレスがほとんど生じない。最近不覚にも数十年来と思われる風邪を引いた。新型コロナではない。多分旧型コロナであろう。熱はないのだがしつこいので気管支に異常を感じている。用心して畑仕事を休むことにしたが、これも運命と諦めて執筆仕事に専念している。昨日はユズの残りを収穫し、200個ほど取った。脚立の踏み台に立って暗くなるまで作業した。落ちるリスクは重々分かっているし、年齢から考えてかなり危険であることも承知している。だが落ちたら落ちたでそれも運命と考えているので、慎重にはやっているが、気にはしない。つまりストレスはない。考え方次第である。
 
  失恋した場合、この世の終わりだと悲観する人もいれば、それもまた運命とあっさり諦めて他の人を探すのは賢明な対処である。いつまでもぐじゅぐじゅ特定の恋人にこだわるのは、振り返れば愚かなことだったと気が付くであろう。その事に執着するのではなく、大局観を持てば切り替えは容易である。
 
  失職した場合、その原因が自分にあるのか社会の変動にあるのか考えてみたら良いだろう。自分に原因がある場合にはそれを改善する努力をすべきであるし、その方法も他者の助言などから求めてみるべきである。社会の変動が原因と思ったら職種を変えることも必要かもしれない。新しいことにチャレンジする勇気も必要だろう。そんな時はストレスが溜まるので、気分転換に外に出て運動などをするとよい。どんなときにもストレスを溜めてはいけない。ストレスは病の最大の原因とも言われる。昔から「病は気から」と言われる。筆者もそのことを良く知っており、ほとんどの風邪は気力で治す。今回は孫から移された強力な風邪のウイルスだったようで負けたが、これまで90%以上の風邪は気力で治してきた。これもストレスは気の持ちようと言えよう。
 
  戦争になった場合、なぜ戦争なんかするのだ、と息巻いてもしょうがない。戦争というものは筆者の歴史観や人間観からすれば必然に起こってしまうものであり、それに対してどう取り組むかが問われることになる。自国に大義があると思う人は全力で勝利に向かって戦争遂行に協力するだろう。世の中の動きに流される人は受け身であるためストレスを自身に加えることになる。勝利すれば前者は自信を深め、負ければ失意のどん底に落とされる。だが彼は新しい状況に適応していけるだろう。後者には勝利も敗戦もそれほど大きなことではないかもしれない。彼は敗戦ですらほっとした気持ちで受け止め、淡々と生きるためになすべき事を続けるだろう。どちらが良いの悪いのということはない。それは人の生き方の問題である。
 
  現代がストレスを増大させているのは、政治家で言えばその政治信条よりも選挙の当落に全てを賭けているために、不正をも顧みないほどストレスを抱えており、日本の庶民でいえばその生活の安定を享受するよりも、ニュースによってもたらされる将来への不安感の方が大きく、ストレスを自分で作り出して満足感を失っている状況がある(前項でも書いたが、日本人の幸福度指数は世界62位である)。会社の経営者や自営業の人は、このコロナ禍の先行きを案じて、絶望の淵に立たされている人も少なくないと思われる。だがこれも考え方次第であり、現状の維持を考えるよりも次善の方向転換を考えられる人の方が成功しているようだ。
 
  政治的に言えば、日本が世界基準とやらに倣ってタバコに健康への注意書きを書いているというのは馬鹿げたストレス増加策であろう。健康に良くないという商品を売ることを許可している政府の不条理は呆れるほどであり、禁止に伴う政治の不安定化を懸念し、税収に未練を残していることは明らかである。考えとやっていることがチグハグである。筆者は喫煙は健康にとってストレス解消につながり、他の害よりも益が勝ると考えているので、タバコの値段が上がろうが注意書きに何が書いてあろうが喫煙を信念から奨励している。むしろ政府は甘い飲み物などのに「肥満はあなたにとって有害です。砂糖の取り過ぎはあなたの寿命を縮めます」とでも注意書きを書くべきであろう。砂糖は人間の欲望を促進する物質であり、健康にとって百害あって一利なしというものである。昔は高価なために自然の果物に含まれる糖分しか得られなかったが、現代は欲望を満足させるための産業により、いくらでも甘い食品がはびこることになった。これも現代の矛盾である。政治が庶民のストレスを解消させるような配慮をしてくれれば、世の中少しは暮らしやすくなるであろう。ローマはそのことを良く知っていて、サーカスと称される闘技を見せることで庶民のストレスを解消させた。現代ではそれは許されないが、他のことで庶民のストレスを解消する方途を見つけるべきである。
 
  世界では経済が政治に支配されるようになり、アメリカは関税戦争から始まって知的財産保護やらの情報戦争を仕掛け、中国がこれに反発して同等の報復関税を掛けたり、オーストラリアに対しては、自国に不利な動きをしたというだけで猛烈な貿易戦争を仕掛けている。これらの原因は全て中国にあるが、彼らは世界制覇の野望を決して放棄することはない。それゆえ世界の不安定は近い将来決定的な大災厄をもたらすことになる。これらはストレス増大という形で進行する。どの位ストレスが増えているかで大災厄がどれだけ近づいたかが分かるのである。従来は話し合い(外交交渉)で事を解決しようというのが主であったが、多くは結局自国優先主義から譲歩をしなかったために戦争になった。戦争だけが権利・主権の決着の仕方として最終的な手段であったからである。現代は世界の警察官として超大国であったアメリカの力が弱くなり、逆に世界制覇を企図する中国が覇権を強めてアメリカを凌ぐようになった。これが衝突するのは時間の問題であり、ストレスの暴発と捉えることができる。
 
  筆者は自然界・人間界の事象をシステム論的に捉えており、システムの安定を図るための方策を思考してきた。そのために必要な条件というものがいくつかある。その全てが人間界に託された課題となっている。それを挙げてみよう。①人間界は適切な思想の下に、1つに統合されなければならない・②自然システムを破壊しないように、人間システム(人間界のシステムの意)に制限(資源の乱費等)を加えなければならない・③そのためには人口を適正な規模に縮小する必要がある(20億人を想定)・④人間システムを安定化させ、自然システムと調和させるために人間システムに生じているストレス要因(欲望)を排除していく努力が求められる、というのが最低限の条件となろう。
 
  ストレス論が重要になるのはこうした未来志向の考え方によるものである。ストレスが人間界のどのような場面に表れているか、それを是正する適切は方法はあるか、それは自然界のストレスに影響を与えないか、等を考えていかなければならない。現在の状況に右往左往して本質的な思考から外れている学者らは、もっと事象の本質に迫った思考に立ち戻って、システム論的に考察し、未来世界のあるべき姿を希求していかなければならない。それは現代にすぐに応用できるものもたくさんあるはずであるが、世界システムを根本的に変革しなければ実現不可能なものもたくさんある。まずは実現可能なところから改善を図り、最終的に世界システムに変更を加えなければ解決できないと悟った段階で、未来の世界に移行するということも考えの上では成り立つが、実際には状況論からして不可能であろう。未来世界は大災厄により世界が崩壊したとき、現代文明が消滅したときに初めて可能になる。今はそれを準備しておく時なのである。
 
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