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【時事評論2020】

朝日新聞に名誉というものがあったのか?(11.21追記)

2020-11-20
  元朝日新聞記者の植村隆(62)が、「従軍慰安婦」について書いた記事を「捏造」とされて名誉を傷つけられたとしてジャーナリストの櫻井よしこ(75)と出版社3社に謝罪広告の掲載と損賠賠償を求めた訴訟について、最高裁はこれを棄却する決定を下した。1審・2審とも棄却されており、判決が確定したことになる。この記事(産経新聞・11月20日付記事)を読んだ時、朝日新聞、ないしは植村隆に名誉というものがまだあったのかという驚きの感を覚えた。世に広く知られているように、また朝日新聞自体が認めているように、従軍慰安婦問題というものが朝日新聞によってでっち上げられた虚構であったのが分かったのはもう相当前のことである。その時点で朝日新聞には「名誉」というものが失われていたはずである。だが「名誉棄損」という訴訟が未だに続いていたということが信じられないことである。そこでその経緯を調べてみることにした。
 
  1991(H3)年に遡るが、植村は署名入りで朝日新聞大阪社会部時代に8月11日と12月25日の2回に亘って元慰安婦(金学順)の記事を書いたが、この記事は実際には元慰安婦がそういった証言をしていないにも関わらず、軍によって強制連行されたかのような印象を与える内容になっていたことが問題視され、複数の識者や組織により批判や検証が行われた。麗澤大学客員教授で論客の西岡力は「このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状を書き、韓国紙の取材にもそう答えている」と指摘し、植村について、「まったくの嘘」「事実無根の主張」「まったくの捏造報道」「意図的な捏造報道」「厚顔無恥さは許し難い」「意図的な捏造」「植村記事の悪質な捏造報道」「平気でウソを書く新聞記者」と、考え得るあらゆる罵辞雑言で批判している。その結果、記事にある「女子挺身隊」を「慰安婦」と混同していたことなどについて、朝日新聞社は 2014年12月23日に、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します』という謝罪記事を掲載している。問題は彼がなぜ日本を貶めるような記事を書き始めたかということである。時系列でそれを探ってみると、そのきっかけが社員として在籍したままで1987年8月に韓国の延世大学に留学しており、韓国語を習得したことにあるだろう。それが社命なのか自己希望であったのかは不明であるが、1989(H1)年11月から2年5ヶ月間大阪本社社会部に勤務し、民族問題や被差別部落の問題を担当したことで、この時期に彼は韓国に調査に行ったようである。そこで知り合った韓国女性と1991年に結婚した。彼女の母親(梁順任)は「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部であり、彼女もそこで働いていた。簡単に言えば「ミイラ取りがミイラになった」のである。植村は反日イデオロギー組織に呑み込まれるようにして、彼らの主張を日本に紹介することにしたと思われる。そして結婚した年に上記の記事を書いている。
 
  ソウル特派員になった頃(年月不詳:1993年以降)には従軍慰安婦に関する記事を19本書いている。一度嘘を書くとそれを上塗りせざるをえなくなり、次々に韓国側の主張をそのまま日本の読者に伝えた。だが後に設置された「第三者委員会」によってその化けの皮が剥がされ、ついに朝日新聞は2014年12月23日に紙面を使って『記事を訂正、おわびし、ご説明します 朝日新聞社』と言うタイトルで経過報告と謝罪をした。この時点で朝日新聞の記事が架空のストーリーに基づいた捏造であったことが世界に認知されたのである。だがそれは23年もの長きに亘って朝日新聞が言い続けてきた嘘でもあったことを証明した。だが事はそれだけに終わらなかった。植村の妻の母親であるキムが幹部を務める「遺族会」は、植村が1991年に記事を書いてから4ヶ月後の1991年12月6日に東京地方裁判所に提訴して補償を請求した。こうなると植村家族が揃って韓国側に立って日本を中傷・侮辱し、補償金を略取しようとしたことになる。そしてこの問題はその後に追加された「戦時徴用工問題」と併せて日韓関係のトゲとなり、両国の関係を最悪な状況にまで追い込んでいる。だがその責任は単に植村やその家族だけに帰すことはできない。韓国民、および韓国という国家そのものが異常な感情・異常な政治感覚・異常な歴史解釈によって日本を一方的に攻め立ててきた結果であり、それには韓国のマスコミが大きく関わっており、植村はそれに格好の材料を与えたに過ぎないとも言える。
 
  遺族会の訴訟(「韓国遺族会裁判」)は、当然のことであるが、2004年に日本の最高裁判所にて原告(遺族会)の敗訴が確定した。原告41人は何のために無駄な時間と費用をつぎ込んだのであろうか。そのカネはどこから出ているのであろうか。その後に韓国の元徴用工が起こした裁判は韓国内で行われ、韓国の最高裁は日本に賠償を命じた。だがこれは1965年の「日韓請求権協定」で既に解決済みのことであり、韓国の最高裁が国際協定を無視してこのような判決を下したことは、韓国司法が完全に独立しておらず、その時々の大統領の意向を汲んで判決を出す体質を露わにした。ここに至って両国関係は抜き差しならないことになった。それらの問題の根底に韓国内左派による反日運動があり、そのさらに裏に北朝鮮のエージェントによる画策がある。ムン大統領が北朝鮮出身であることもムン政権が極左の様相を呈している理由であり、筆者はムン自身が北のシンパであろうと考えているが、全ての今日的問題が慰安婦問題から発していることに間違いはないであろう。その切っ掛けを作ったのは日本人である植村隆という朝日新聞ジャーナリストであった(10.8「日本のメディアは何をしている?!」参照)
 
  なぜ朝日新聞が反日であり、亡国的であり、自虐的であるのか時々考えさせられる(7.19「メディア不信が募る」参照)。すると戦中の朝日の大政翼賛的存在と、戦後の居直りによる極左への転向、という2つの事柄に共通するものが見えてくる。それはいつも社の利益を優先するために取られる「読者迎合」という姿勢である。政治でいえばポピュリズムであろう。だがそれはメディアの宿命であることから朝日新聞に限ったことではない。誰も戦後の朝日新聞の変節など気にもしていない。それは過去においても現在でも普遍的なメディアの宿命である。読者のいない新聞社などあり得ないからである。だが不思議なことに、現在は「左翼という流行り」はもうとうに廃れており、その後に起こったソ連の崩壊・中国の横暴に見るように、共産主義に対して日本人の中にアレルギーが起こってきて朝日新聞の栄光は地に堕ち、日本の名誉であった朝日新聞は今や亡国新聞になり果てている。それでも朝日新聞は左翼という旗印を引っ込めようとはしない。主義・主張を貫こうとする姿勢はまことに立派なことであり、敬服したくもなるところだが、逆に穿って考えると、朝日新聞はどこかの左翼国家から資金を得て活動しているスパイ組織なのではないかと勘繰りたくもなる。
 
  いずれにしても愚かな元朝日新聞記者の訴訟が敗訴したことは喜ばしいことであった。しかも1審・2審・最高裁と3段階の全てで訴えが棄却されたことは近年では珍しいことなのかもしれない。よく見るニュースでは一審有罪・二審無罪・最高裁有罪、というようにころころ判決が変わる方が多いように感じているからである。その意味で筆者は現行の法制度に対して改革を唱えているが、今回の判断に対しては「司法が全うな機能を果たすこともあるのだという安心感、というか安堵感」を覚えた(8.12「未来の司法制度」参照)。それにしても植村という男は韓国人に騙されて国辱的な行動を行い、2つの国家を重大な危機に陥れたにも拘らず、自分の名誉のために法廷闘争を起こし、何ら恥じるところがないようである。とても日本人とは思えず、何が彼の日本人としての精神を変えてしまったのか暗たんたる気持ちになる。彼は株式会社金曜日(週刊金曜日発行元)代表取締役社長になり、 招かれて韓国のカトリック大学校招聘教授となっているそうだ。完全に日本を捨て、韓国人になり切ったのであろう。ちなみに彼の経営している「金曜日」は左翼・護憲・反天皇制・反体制ジャーナリズムを標榜しており、廃刊となった「朝日ジャーナル」の流れを汲むと言われ、1993年7月に創刊された。初代編集長は中国を礼賛した本多勝一であった。編集委員には石牟礼道子・井上ひさし・久野収・筑紫哲也・椎名誠・和多田進・宇都宮健児・中島岳志・田中優子などそうそうたる著名左翼がいる。2012年3月28日から始まった官邸前での反原発デモは今でも続いており、数十人程度であるが、コロナ禍のあおりを受けて2021年3月末で中止することにしたそうだ。「週刊金曜日」との直接的関連はないようだが、現在およそ1万部の定期行動をしている人らの中にこのデモへの参加者(最大時に20万人と言われた)も多いのではないだろうか。
 
  そろそろ結論を急ごう。朝日新聞というメディアに対しては、筆者はまだ無知であった若い頃に騙されてきた。学園闘争が華やかなりし頃でもあり、筆者はどちらかといえば右翼だが、朝日ジャーナルなどを買って脇に抱えていることに優越感すら覚えた記憶がある。そこには文化大革命の最中、中国人が人海戦術で煙突を立てたことを日本人記者(「朝日系」)が絶賛している記事が書かれていた。今にして思えばなぜそんな下らないことが絶賛されなければならないのか不思議であるが、当時は記者の迷文に騙されて感動したのである。そのような時代であった。そしてその頃の朝日新聞には「権威」と言えるような雰囲気があり、筆者も父親が朝日新聞を取っていたこともあって、他の新聞を目にすることもなかった。だが結婚して湾岸戦争の頃にNHKや朝日新聞の論調に違和感を覚え始め、その頃に新聞を産経新聞に切り替えたのである(NHKは切り替えようがない)。それは家内の父親が3紙(朝日・産経・日経)を比べて日ごろから朝日の偏向を嘆いていたからである。産経新聞は「媚びない」という評を東大出のエリート上司から聞いたこともある。
 
  今や「朝日」という名を聞いただけで虫唾が走るほど嫌悪感を抱くようになった。それは筆者が経験と思考から得た人生へのより深い理解が伴ってきたせいもあるだろう。なぜ朝日は争いごとばかり起こそうとするのか、なぜ日本のために日本の視点で記事を書かないのか。それらの疑問についてここで議論しても不毛である。彼らは共産主義の狂信者であって、議論の余地はない(土俵が違う)。アメリカでも起こっているように、日本ではまだNHKや朝日新聞を権威と信じる人々が多いようであり、日本でも国論の分断が起こっている。政治的話題からは遠ざかっていた方が無難なのかもしれない。いずれにしても朝日新聞に「名誉」と言うものがあるとは思えない。無いものを根拠に「名誉棄損」という裁判を起こした元朝日新聞記者の常識を疑うものである。
 
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