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【時事評論2020】

ベジタリアン・ビーガンの考えは偏狭である

2020-11-18
  近年、ベジタリアンやビーガンの話題が多くなってきている。食に関する問題が複雑化しており、イスラムなどの宗教に基づく食事制限も国際化の中で問題となっている。そもそも人間が食事に制限を課すという習慣がどこから生じたのか、そしてそれは未来を俯瞰した場合、妥当なのかどうかをここで論じたい。ちなみにベジタリアン(Vegetarian)と言った場合、菜食主義者であるとされ、肉類や魚類を食べない場合が多いがそれほど厳密に区別しないことも多い。またこの用語は野菜(ベジタブル=Vegetables)から来たものではなく、ラテン語の vegetus(ベジェトゥス)が語源で、「健全な」・「新鮮な」・「活力のある」という意味だそうである。一方ビーガンと言った場合はかなり教条的様相が強く、乳製品や蜂蜜も動物由来の食品であるとして食べないというほど厳格である場合が多い。その理由については必ずしも宗教的なものだけではなく、アレルギーや病気など健康のため、自身の考え方、環境のため、スピリチュアルな理由など幅広い。
 
  古来、宗教では食事制限がしばしば戒律として定められた。それはある意味での文化的背景もあって、当時は妥当なものもあったのかもしれない。たとえばユダヤ教では豚肉・エビ・カキ・タコ・イカ・血の滴るビーフステーキ・カタツムリ・日本料理の鯛の活け造り・親子丼はダメとされる。かなり制限が多い方である。その制限の理由は未だに定かではない。食べて良いものは「コーシャル」と呼び、聖別されたものという意味である。ユダヤ教でコーシャルフードと呼ばれるものは聖別された食材を指し、詳細は不明だが何らかの聖別儀式が行われるようだ。キリスト教は異邦人(ユダヤ教徒以外の人々)に教えが広められたという解釈の下、制限は基本的にない。だがイタリアを除き、タコ・イカは西洋人は昔は食べなかったようだ。イスラム教もキリスト教の流れを汲んでいると言われ、さらに細かく規定があるが、全面的に禁止されているのは豚肉とアルコールであるとされる。食べて良いものは「ハラール」と呼ばれ、ハラールフードに日本でも気を遣うようになった。豚のエキスや豚と接触した食品もすべて禁忌とされている。これも理由は定かではない。
 
  古代インダス文明の頃から菜食主義というものがあったようで、主として健康上・宗教上の理由からであったようだ。ギリシャにもあったようで、ピタゴラスは厳格な菜食主義を主張していたとされる。インドにもあり、その流れから日本の仏教は殺生を嫌ったことから菜食主義であった。現代日本の精進料理は仏教から来ており、形骸化しているとはいえ厳しい戒律の中では守られているようだ。日本では奈良時代に天武天皇が律令体制を築いたが、以後、動物の殺生や肉食が禁じられていき、肉食はタブーとなった。明治時代に入るまで、表向きは肉食禁止であったため、日本は精進料理の伝統は長い。そのため腸が長くなり、免疫力が向上したことで世界一の長寿国になれたのかもしれない。
 
  さらに遡って古代人の時代では、肉食は重要なものであった。主として狩りにより得た獲物を食べたが、時には家畜を食べたかもしれない。加熱料理が広まった頃から食材を柔らかくして食べられるようになったことから人間は多くのカロリーを得ることができるようになり、それを脳に回して脳の進化を助けたと言われる。また顎と歯を華奢にすることで脳の肥大化を促進したと言われ、人類進化に肉食は重要な役割を果たしたと考えられる(調理による進化仮説)。
 
  人間は霊長類として進化してきたが、現在の霊長類のチンパンジーは雑食、ゴリラは菜食が強いが昆虫食もあり雑食とすべきだろう。ボノボは果実食でメスが分配する。人間は基本的に雑食であり、植物だけを食べるようには適していない。セルロース・リグニンを消化できないからである。だが腸内細菌がその役割を担っているということが最近分かってきたばかりである。そのため人間は菜食だけでも生きていける。だがタンパク質はマメ科植物・食肉・乳に多く含まれているため、どうしてもタンパク質不足になりがちであり、栄養バランスからすると好ましいとは言えないようである。ではどちらが長寿かというと、長い事菜食であった日本人の腸が欧米人よりかなり長いことが長寿国の理由らしいと言うことも分かってきたため、一概には言えないが菜食の方が長生きするのには適しているのかもしれない。そのため菜食主義者が出てきてもおかしくはないのであるが、それが周囲の人々の環境・文化との間に問題が起こるようになった。移民・難民・国際結婚・ビジネス交流などによる地域混在の機会が増えたからである。
 
  では菜食主義のメリットはなにかというと、①長寿・②健康・③肥満回避、等であろう。肉食では①短命・②活力旺盛・肥満傾向、が挙げられ、健康的には不利である。そのため近年の菜食主義者には健康面での考え方から菜食をするようになった人が多いようだ。だがこれが臨機応変なら問題はないが、最近の菜食主義者であるベジタリアンを名乗る人の中には教条的な人が多くなり、またそれを誇りに思っている人もいるようである。ベジタリアンの歴史は古いが、ビーガニズムは19世紀に現れた思想である。さらに欧米では牧畜が環境を破壊しているという認識が強くなってきており、それに反対するためにより教条的なビーガンになった人も多いようだ。ある国で子どもらのキャンプが心理学者の実験として計画され、5組の兄弟姉妹が集まったが、そのなかの一人がビーガンであると言うことでバーベキューの肉を食べなかった。これは多分、この子にとって大きなトラウマとして残ったことだろう。この子の親の時代にはビーガンと言う考え方がなかったが、現代に生まれた思想であることから、それは新興宗教の様相を呈しており、家族は守らなければならないという掟が作られているようである。グレタ・トゥーンベリもまた強迫性障害という病気ではあったが、自己の信念から両親にベジタリアンであることを強要し、両親もそれに従ったことで訴えれば通じるという確信を得たそうであり、問題を地球温暖化に向けた。彼女が両親にベジタリアンを強要したことは間違っているが、温暖化に関する指摘は正しい。
 
  菜食主義者がそれが理由で病気になった事例を知らないことから筆者としては即断は避けたい。だが個々の人がそれを実行するのは良いとしても、それを他に強要したり、説教したり、あるいは公共の場に菜食主義者に合わせたメニューを用意することを要求したりするようになると、これは社会問題となってしまう。宗教も同様の問題があり、個々の信仰は尊重できるが、それを社会に要求するようになると紛争や戦争の原因となる。それはイスラム過激派の行動を見れば自ずと明らかであろう。
 
  未来世界では個人の信条に基づく行為はそれが社会の安定を損なうようなものでなければ自由の範囲とされる。だがベジタリアンやビーガンの場合はしばしば上記したような家族への強制を伴うことが多く、自分で選択のできない子供にそのトラウマが残ることが懸念されるため、与えられた食材は全てを感謝して食べるという人間として自然な態度が推奨される。それこそ食べることにすら困難を覚えている最貧国の貧民のことを考えるならば、菜食主義者の主張は単なる先進国の傲慢な人々の自己主張に過ぎないと考えるべきであろう。彼らはしばしば医学を基に健康志向になることが多く、しかもつい最近知った偏った知識を基にしていることが多い。そのような人に他の人を強要する資格は無いし、そもそも菜食主義に合理的かつ科学的根拠があるとは思えない。人類のほとんどが昔から全ての可食食材を食べてきたのであり、その中には昆虫や蛆虫もある。筆者は中国でサソリのから揚げを食べたが、最初は気持ち悪かったが食べてみるとイナゴの佃煮と似たようなものであり、不味くはなかった。食にこだわらないというのが最も自然であり、ノム思想では自然主義に立つことから、筆者も食べられることにまず感謝するという心がけが重要であると考える
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