【時事評論2020】
AIに期待する
2020-11-07
AIが将棋界切ってのホープを負かしたというテレビ番組をNHKが放送した。それは既に古いニュースであるが、それを基にAIの未来を語ろうとしたようである。だがNHKが本当にAIの本質を理解しているとはとても思えなかった。まさに短絡的に将棋界で起こった変革をニュース的に伝えているにすぎない。そこで筆者はこの番組を通して、未来のAIに期待できるかどうかを判断してみたい。
将棋の佐藤天彦名人(当時)が将棋ソフト「ポナンザ(Ponanza)」に敗けたのは2017年7月20日に行われた「電王戦」の席であった。400年の将棋の歴史の中でそれは画期的なことであった。1970年代から将棋ソフトというものが登場してから、たったの40年であるから、1/10の短期間にコンピューターは人間を追い越したことになる。棋士という職業が無くなる恐れを棋界は抱いたようである。プログラマーの山本一成(いっせい:31歳)は一躍時の人になった。IT企業に勤めてはいるが、プログラミングは趣味であるという。ポナンザに彼の将棋の考えは一切入っていない。
1997年にはニューヨークでチェスのカスパロフがスパコンに負けた。その頃から将棋でもアプリが開発されていたが、ゲーム遊びの域をなかなか超えなかった。当時瀧澤武信(現在コンピュータ将棋協会会長)も行き詰まりを感じていた。チェスがプロに勝ったころ、将棋界ではソフトのレベルはアマチュアの初段から2段程度だった。将棋とチェスの大きな違いは取った駒が使えるか使えないかにあり、それだけで想定場面は格段に増えてしまうからである。チェスが10の120乗の場面選択に対して、将棋は10の220乗という格段の差がある。人間のプロはその選択を経験・学習・勘で瞬時に行わなくてはならない。筆者はむしろ人間のすごさに感嘆する。羽生善治が五段で加藤一二三を破ったときにも誰にも予想できない妙手で勝っている。そしてほとんどの棋士がプロがコンピュータに負ける日は来ないとアンケートに答えている。彼らはそもそもコンピュータの何たるかを知らなかったのである。「敵を知らざれば打つ手なし」が格言となるであろう。
上記瀧澤はコンピュータ将棋の大会を主催し、能力向上に努めた。プログラマーの山下宏もその魔力的魅力に憑りつかれた。彼らプログラマーはほとんど将棋が好きであった。だが彼らの知識をプログラムに反映させても、棋力はそれ以上には及ばす、プロはこれらを相手にしなかった。2005年にカナダのトロントで物理を勉強していた保木邦仁が開発した1本の将棋ソフト「ボナンザ(Bonanza)」がインターネット上に公開されたのが契機となった。彼もまた将棋は素人だった。彼はプロの棋譜を使ってプログラムを構築したという。だが2005年10月に、「アマ竜王戦」においてコンピュータとプロの対局に待ったが掛った。当時の将棋連盟会長の米長邦雄(永世棋聖)は棋界の将来に不安を覚えていたのである。彼は「人間が勝ってもニュースにならないが、負ければニュースになる」と報道の本質を突いた発言をしている。だが1局1億円ならば検討はする、と含みを残した。2007年に1度だけ対戦が行われたが、ボナンザに渡辺明竜王が勝利して棋界は安堵した。そこで保木はボナンザを公開し、誰でも改良できるようにして対抗した。これで開発のスピードが加速され、東大の将棋部に所属していた山本一成も参加してポナンザを開発した。この段階では10~15手先まで読んでいたようである。彼は将来ソフトが名人を超えることを確信しており、それが自分であることを夢見ていたが、それは実現した。
2010年に再び米長会長はソフトとの対決を解禁し、「いい度胸をしている」と挑戦者に対して言い放った。だが女流王将の清水市代がまず敗れ、2012年には永世棋聖の米長も敗れた。そして大手IT企業の支援の下で2013年に「電王戦」が開催され、佐藤慎一四段を負かしたのが最初の一歩となった。ポナンザを開発した山本は「人間より深い存在はある」という確信を抱いていたという。そのためには人間から学んでいるうちは限界があるが、コンピュータが自分で考えるようになれば圧倒的に優位に立てるという仮説を立てたという。そこでポナンザ同士の対局を繰り返し、ありとあらゆる局面を学ばせることで、人間が悪い手としてきた中に新たな宝が見つかると予想した。だが予想に反して伸び悩んだ。勤めていた会社も休職し、資金集めに奔走することになった。そしてポナンザ同士の対局数が8000億を超えたところから、人間が知らない形・囲い・戦法・概念・手筋が現れ始めた。それは彼にとって感動的体験であったという。2012年から16年までに棋士対決は17回行われ、ポナンザが12勝5敗という成果を収めていた。最後の決戦とも言うべき名人との対決が冒頭に書いたように2017年に実現し、ポナンザが佐藤天彦名人を破ってついにAIが人知を超えたのである。
決戦では初手から人間が見たことのない奇手が放たれた。三八金という手である。佐藤はこれに対して頭を抱え、解説の加藤一二三は驚愕した。佐藤は初めて見るその手に思考時間を費やし、ついにミスを犯して敗れる。つまり時間・感情の乱れによって負けたのである。佐藤天彦は敗れたことで学んだ。人間はその場面で最善手を選ぶのではなく、リスクはあっても最も早く勝てるかもしれない手に賭けてしまうという。またプロ同士の戦いではお互いに相場感があり暗黙の会話が成り立っているが、AIは感情を持たず、思念もないのでその会話が成り立たない。どこに打ってくるか分からない恐怖にプロは怯えることになる。だが勝負を抜きにすれば、佐藤は面白いと思うようになったという。AIの打つ手の奥深さ、というか先読みのすごさが分かってくるからだという。そのような中で佐藤はAIの感情というようなものをほのかに感じたという。また人間が心理的な弱さから失敗を犯す存在だということを痛いほど味わったとも言う。
棋士の豊島将之二冠はAIとの出会いで自らの殻を破ったという。小学生の頃は天才と称賛されたが、トップ棋士と争うようになってどうしても勝てない日々が続いた。AIとの出会いは電王戦への出場であった。その後彼は研究会への参加から遠のき、対人研究を止めた。AIによる研究に絞ったのである。彼は自分の棋力に対して謙虚な評価をしており、一段上を目指すために一早くAIを取り入れた。その結果、藤井聡太に対して6勝0敗を誇るトップ棋士となり、念願のタイトル戦にも勝てるようになり、羽生善治からタイトルを奪って現在二冠である。「藤井の天敵」とも呼ばれている。AIは手に対して評価値を返してくれる。彼はそれによって自分の思い込みを壊していった。一方自分の信じる手がAIによって評価されることもあるという。特に序盤戦術ではAIから学ぶものが多いという。だが将棋の魅力が無くなったわけではない。人間同士が戦う試合の中には盤上の戦いの物語があるからだ。2020年10月5日に行われた王将戦の挑戦者決定リーグで豊島と藤井が対決したとき、2勝2敗の最後の決戦局の最終局面では藤井が99%優勢であった。だが藤井はミスを犯した。これが敗着となり逆転して豊島が勝ったのである。それは歴史的逆転劇であった。AI判断もこの時藤井優勢の判断を99%から29%にいきなり落とし、豊島優勢を判断したという。加藤一二三は「ミスをしないAIの将棋はつまらない」と云う。それは確かなことであり、人間はミスをするから愛すべき存在なのかもしれない。
千葉県で将棋教室を開いている加藤幸男はかつてアマトップであった。AIの可能性に早くから気付き、研究を重ねてきた。だが彼は教えることはAIには不向きだと考え、自ら人間が教えることを選択したという。教室はオンラインで行われており、顔を見ながら楽しく指導を行っている。彼はAIにはまだ人に動機付けを与えることはできないと考えている。だが筆者はそれもまたAIが勉強し、訓練されることで可能だと考えている。わざと負けて子供を喜ばせたり、わざと悪い手を打ってその間違いを生徒に気付かせたりするような芸当もやってのけるだろう。だがそれをAIの感情と呼ぶことができるのかはまだ不明である。その時代にならないと見えてこないこともあるだろう。
以上の番組の内容から筆者も自論に対して多くの確証を得たし、学ばされもした。だがそれらは全て筆者の予想の範囲内であり、NHKがもっと突っ込んだ本質を解説しなかったことにむしろ不満が残った。AIはこれから囲碁・将棋のゲームという単純な世界で用いられるだけでなく、もっと複雑な判断を要する場面で用いられるようになるであろう。そして全ての百科事典・ニュース報道・あらゆるマニュアル・あらゆる国の法規を記憶して、個々の問題に対する総合的判断を下すことのできる汎用AI(統合AIと呼んでもいいだろう)が登場することになる。その開発においては上記を教訓にすべきである。まず複数台のAIを世界で開発し、それに討議をさせる。より合理性・客観性が高い判断を下したAIを勝者とする。その討議は延々と続けられ、それこそ何兆回にも及ぶかもしれない。AIの判断が人間の短絡的・短期的視点から下される判断より勝っていることは明らかであり、地球環境変化の予測を含めた総合的なものになることによって、人間の思考の過ちを指摘して正してくれる唯一の基準となるだろう。だが複雑系の問題においては判断が1つということはあり得ない。また判断が下されたとしても、その最良の結果を得るための道程をも示されなければならない。その組み合わせは無限大に存在するのであり、AIはそれらを上記同様「評価」として点数で表してくれるだろう。最終的には人間がそれを選択しなければならず、よってその結果起こることについては人間の判断の責任となる。またAIは人間の将来あるべき姿をも描き出してくれるかもしれない。それらのことに筆者は大いに期待したい。