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【時事評論2026】

選択行動の変容

2026-07-20
  今回はニュース記事にヒントを貰って、「選択行動の変容」というテーマで考えてみることにした。人は動物よりも遥かに多くの行動の選択の余地を持つ。だがそれは数万年以上の昔では、現代より遥かに少なかったと思われる。言葉を替えれば、「行動の自由は少なかった」と表現できるだろう。人間は動物と同様、生存競争の最中に置かれていたため、生存確率を高めるために集団行動を取ることにより、社会性を高めていった。他者と行動を同じにすることが求められたため、個人としての行動の自由はある程度抑えられていた。

  人間が行動の選択の幅を広げていくことが出来たのは、人間社会に分業というものが生まれたことによると思われる(22.11.21「分業」)。分業はある意味では選択の幅を縮めることでもあったが、自分の得意な仕事にはある程度の自由さがあったし、その独創性が仕事を成功させることにも繋がったからである。分業が集団的に行われる仕事、たとえば農耕などであった場合は、携わる人には自由は無かった。皆で同じ仕事を共有しなければならなかったからである。つまり分業による職業は、人間の行動を縛る面と自由を得る面との両面を持っていた。

  人間社会が分業により技術を発展させた結果、個々人がやっていた行動が効率的にできるようになり、その結果余った時間を別の行動のために振り向けることができるようになった。たとえば調理という分業は恐らく女に与えられたと思われるが、家族のために行われる調理は男や子供に自由な時間を与えたと思われる。男には家族を守る役割が与えられていたし、また狩猟による食物獲得の役割もあった。男は効率的な猟や漁を行う方法を考えただろう。子どもは遊びを通して将来担う役割を真似して学んだ。恐らく子どもの遊びには男女の違いが昔からあっただろうと思われる。男の子は狩猟の真似をしたり、戦の真似をするのが好きである。女の子は「ままごと」と称せられる、家事の真似事が好きだと言われる。

  人間は最初に男女の間で行動選択の違いを生み出した。それは脳の発達に刻み込まれ、男性脳・女性脳と呼ばれる特徴を遺伝的に持つようになった(21.2.21「脳の進化と人間社会の脳の乱立」)。さらに社会が発達し、人間が生死を賭ける生存競争から解放されて、名誉や地位のために競争するようになると、選択行動にも新たな側面が加わってくるようになった。男は武術などの習得よりも、学問の習得に身を入れるようになり、女は男に媚びを売るよりも、教養を高めることに身を入れるようになった。そしてさらに社会が安定化してくると、人間は競争することに疲れて、競争しないことを求めるようになった。

  現代では「選ぶ」という行動から解放されたいという欲求が起こっているという。久我尚子がそうした考えに基づき、『私たちはなぜ選ばなくなったのか?』という著書を書いている。おもちゃの「ガチャ」・AIによる最適解、などにその兆候が表れているという視点は、とてもユニークだ。面白い事実がある。同じような商品を数種類並べた店と、沢山並べた店では、売り上げは種類を少なく並べた店の方が多いという。あまりに選択肢が多いと、人間は選択という行為そのものを止めてしまうようだ。情報が余りに多い現代は、人が選択に疲れやすくなっているとも言えよう。

  選択や競争に疲れた人間の姿が中国や韓国に見られる。中国での若者の失業率は16.5%と言われるが、若者の中には就職や結婚に消極的な「寝そべり族」「ネズミ人間」という新語で表される集団が生まれていると言う。中国の失業率を以前の定義(求職中の在校生を含む)で計算するととんでもない数字になるようだ。まして中国が進める生成AI積極開発政策が実現した場合、中国全体の失業率は30%を超える可能性すらでてくるだろう。韓国でもアルバイトや求職断念を加味した若者の「拡張失業率」は2025年7月には16.1%であった。若年失業が結婚・出産の忌避につながり、これが少子高齢化を加速させているという。

  現代に顕著な若者の傾向に、こうした選択行動への忌避があるというのは大きな問題だ(25.8.22「自由の代償」)。社会構造の変容がそれをもたらしているのか、価値観の変容がもたらしているのか、詳細は分からないが、生きるための選択行動を放棄した人間に、救いの手を差し伸べる必要があるのかどうか、社会福祉の考え方自体を問い直すことが求められているように感じる。

  未来世界では、人には明確な存在意義を与えられている。それは自分のために行動を選択するのではなく、他者のために行動を選択することを良しとする考え方である。それは社会の中で善とされ、人格点に反映される(20.8.30「未来世界における人格点制度」)。そのような世の中になれば、「生きることに疲れる」というようなことは起こらないであろう。分業を生成AIが担う時代になっても、人間界に他者という存在がある限り、人間が生きる意味は無くならない。人間は他者のために生きなければならないし、生成AIはそのための支援をしてくれるであろう。

(7.20起案・起筆・終筆・掲載)


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