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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20)

【時事評論2025】

犠牲

2025-10-25
  畑でタマネギを栽培しているが、ふと、なぜタマネギは一番外側の皮が乾燥して薄い保護膜になるのだろう、と考えた。勿論、中の方まで乾燥するのを防ぐためだが、その巧妙な仕組みに改めて感動した。そして、国家の防衛に於いても同じことが起こっているのだと考えを飛躍させた。ウクライナではロシアの侵略に対して国民が一丸となって抵抗しているが、元々核兵器をロシアに譲り渡してしまっており、防衛もそれほど強固なものを持っていたわけではない。だが2014年にクリミア半島を最初にロシアに略取されて以来、防衛力を高めてきた。そして今は、世界からの支援を受けながら、果敢に戦っている。ロシアは軍事大国であるとされていたが、いざ戦争を始めてみると、その脆弱さが表れて、ウクライナという小国さえ屈服させることができないほどである。ウクライナは多くの犠牲を払いながら、精神力と国際支援でロシアと戦っている。だが国民の命を大事に思うゼレンスキー大統領の考えもあって、ロシアのような兵士の使い捨ては行っていない。同じ犠牲であっても、その意味は大きく異なっている。

  「犠牲」という言葉には、悲哀が籠っている。自らの意志で犠牲になる場合と、戦争などにより、意図せず犠牲となる場合もある。ネットで意味を調べると「目的のために身命をなげうって尽くすこと。ある物事の達成のために,かけがえのないものを捧げること。また,そのもの」とある。ノムの考える犠牲の前者の方を指している。だがニュースなどでは、客観性を重視しているため、ロシア兵もウクライナ兵も区別せず、「〇〇人死亡」と載るだけである。せめてウクライナ兵の死亡の場合には「〇〇名が犠牲となった」と書いてもらいたいところだが、そうはいかないのが世の常である。これが事故による死亡ならば、「○○人死亡」と書かれても誰も違和感を持たない。事故には自己責任が伴うからであって、受け身の事故であっても、第一原因者が分からないところからそう書くのが自然だからである(21.12.4「自己責任」・24.4.18「第一原因者」)。天災での死亡は、たとえ死者に責任はないとしても、犠牲と表現するのは違和感があるため、やはり「○○人死亡」と書かれる。

  本項では、生命というものが存続していくために、その一部が犠牲になることが多々あることを取り上げてみたい。冒頭に取り上げたタマネギを例に取れば、細胞の一部が犠牲を払うことで全体の生命を守ろうとする仕組みがあることが分かる。葉は栄養を作り出す器官であるため、その役割を終えれば散る。そして木なり草なりの本体は、生命を存続することができる。生命界では個々の細胞よりも、全体としての生命体の存続が重視されている(21.6.7「生命進化は巨大な犠牲の上に成り立つ」)人間界でも国家という組織体に同じような仕組みがある。国家が繁栄を求めて他国を侵略する場合でも、他国に攻められて国家存亡の危機に晒された場合でも、国民という細胞は国家というものを守るために、戦争に駆り出される。国民の意志はこの際には考慮されない。国を守るために犠牲的精神を以て志願兵となる人もいるし、徴兵という制度のために仕方なく兵士に任用される人もいる。そして国家は、これらの兵士の死を尊い犠牲として捉え、英雄として祭り上げるのが常だ。戦争に大義が有ろうと無かろうと、国家は常に戦争で死んだ人を尊い犠牲者として扱う

  時に「犠牲」という言葉が誤って使われることもある。特に弱者である女性・子どもが死んだ場合などに、こうした言葉が用いられることがある。すなわち、「犠牲者」という言葉は非常に主観的で感情的な表現であることが分かる。時には天災時の死亡であっても、「犠牲者が出た」と表現されることがある。そうした表現は、暗に政府なりの無策に対する批判が込められている。本来の「犠牲」の意味から外れて、意図しない死に対して「犠牲者」という言葉が使われるのである。これは誤った使い方であることは、犠牲の意味から考えて当然であると言えるだろう。日本の大東亜戦争に於ける死者はおよそ360万人と言われる。戦争記事などでは時に、この数字を「犠牲者」と表現することがある。特に左翼メディアはこの表現を好む。この場合「犠牲者=犬死」というニュアンスで表しており、明らかに「国家の誤った戦争の犠牲者」という意味合いで使われる。だが犠牲というものの本来の意味から考えれば、これは正しい表現であるとも言える。日本国民の多くが、「お国ため、家族の為」に出兵したからである。

  未来世界では、世界民が世界のために犠牲になることは良いことであると教えられるだろう。それは自然界や生命界では当たり前のことだからである。個よりも全が優先されるからでもある(21.6.14「個と全」)世界の為、国家の為、組織の為に犠牲になった人を、未来世界では英雄として讃えるであろう(21.1.30「英雄論」)。人の本分を全うしたからである。人が自分を犠牲にして、他者に尽くすことは最も尊い行為であり、組織に対して尽くすことも同様である(21.12.29「社会貢献」)未来世界では、国家に尽くすことよりも、世界に対して尽くすことの方が価値が高いとされる(25.2.28「貢献の人格点評価」・25.3.4「社会貢献の評価」)。それは大義があるからである(23.3.30「大義・中義・小義論」・24.12.15「大義の考え方」・25.9.17「世界連邦の大義」)

(10.25起案・起筆・終筆・掲載17:45)


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