【時事評論2024】
原理主義
2024-10-28
「原理主義」とは、基本的な原理原則を厳格に守ろうとする立場を指す。原理原則を持つ宗教に限らず、政治・経済などでも用いられる言葉である。そしてこのような偏狭な考え方はしばしば「イデオロギー」とも呼ばれる(21.6.21「イデオロギーの本質」・22.11.10「科学的議論を阻害している現代イデオロギー」・23.12.13「イデオロギーの歴史」)。たとえば「市場原理主義・イスラム原理主義」などの言葉がある。対比語としては「現実主義・世俗主義・相対主義・修正主義・多元主義」などがある。問題は原理主義に於ける「原理」が何を根拠にしているかにある。たとえばオウム真理教の麻原彰晃(本名:松本智津夫)は自分の唱えた教理を根拠にしていたため、一個人の考え方を根拠にしたと言える。統一教会(現在「世界平和統一家庭連合」と改称)は原理講論を唱えていたが、これも韓国の文鮮明が教祖として唱えたもので、根拠は何もない。それに対して、市場原理主義などは、経済学理論としての根拠を持っており、より普遍的な根拠であると言える。イスラム原理主義が世界を騒乱に導いているが、これは予言者を自称するムハンマド(マホメット)が唱えた教理が基になっていると思われる。ただ、ムハンマド自身が考えた教理ではなく、啓示によって神に示されたとしており、それを信じるかどうかが根拠となっている。
キリスト教にも原理主義と言える立場を持つ「福音派」という聖書の記述をそのまま信じる宗派があり、米国の大統領選挙でトランプを支持していると言われる。元々は福音派は敬虔なキリスト教徒とされ、決して過激な行動を取らなかったが、最近の動向を見ていると、トランプを支持していることからも分かるように、かなり過激な集団に化しているようだ。キリスト教が「愛」の宗教と呼ばれるのとは全くことなる雰囲気を持つようになっており、ある意味で米国の福音派は変節したかのようだ。一般的に宗教における原理主義は、手段を選ばない過激派集団と理解されるようだ。
本来、原理主義は普遍的原理に基づく考え方と理解されるべきであり、その普遍的原理には科学的理論が根底に無ければならないだろう。宗教には科学的根拠が全く無いため、宗教における原理主義は非常に偏狭で誤ったものになっている。上記したキリスト教の福音派は、聖書を誤りのない無謬なものとしているが、「汝の敵を愛せよ」というキリストの最重要な教えに反し、意見の異なる者や移民などに対して、極めて敵対的に振る舞い、考え方や行動が原理に反していることに気付いていない。また米国の福音派は妊娠中絶に反対しているが、聖書にそれを禁じる言葉は一切見当たらず、単に派生的に出てきた生命尊重主義を拡大解釈しているに過ぎない。生命の考え方そのものも間違っており、動物の生命は全く別物だとしている。いわば人間生命尊重主義に偏っていると言えよう(23.6.24「人間生命尊重主義の蹉跌」・23.11.7「イタリアが間違った生命尊重主義を政治に持ち込む」)。
原理主義を「大義」というものを考えるときと同様、その根拠が如何に普遍性を持つかどうかで判断すべきであろう(23.3.30「大義・中義・小義論」)。科学的根拠を持つ原理に基づくものならば、それは最も普遍性があると見做せるが、単に一学者や一宗教家が唱えるものならば、全く普遍性がなく、それは偏狭主義や独善主義と呼ばれるべきものである。
世界に蔓延るイスラム原理主義はそうした意味で、偏狭主義であり、独善主義である。そしてそれは、世界の大多数の人々にとって、また良心的なイスラム教徒にとっても敵対するものであり、有害なものとなっている。世界はこれを排除しなければならないはずだが、現代の自由主義の観点から出てくる「信教の自由」を否定することになるため、民主国家はイスラム教の排除を唱えることができない(5.14「宗教の自由」)。メディアがそれを証明しており、イスラム過激派がどのような事件を起こしても、それをイスラム教のせいにはしていない。もしイスラム教が原因だと弾劾すれば、世界のイスラム教徒から排除されることを恐れているからである。こしてイスラム原理主義は堂々と、世界に根を張ることに成功している。それは貧しい人々を洗脳することで行われている。子どもの頃から教え込むことで、イスラム原理主義はそれを疑うことすら許されない絶対の教えとなっていく。現にキリスト教徒は衰退の一途を辿っているが、イスラム教徒はアジアにもその勢力を広めている。仏教徒であったはずの国々がいつの間にかイスラム化しているのには驚かされる。
未来世界では宗教の自由は原則的には維持されるが、それが反体制的要素を唱えたり、行動に出したりすれば、その個人が咎めを受けるだけでなく、宗教団体がどのような説教を行っているかが検閲されるだろう。また布教に於いて、過大な期待を持たせるような宣伝を行っていないかが問われることになるだろう。すなわち行動次第ということになる。未来世界は現実主義に立っており、宗教組織や個人が危険な兆候を示した場合には、即座に調査・監視などが行われるだろう。そのため日本で起きた「サリン事件」は起こりようがない。日本は「松本サリン事件」でオウム真理教に疑いを持ちながらも、信教の自由を最重要視するという理想主義に走ったために、オウム真理教の査察に入れなかった。嫌疑が固まって捜査に入ろうとした2日前に「地下鉄サリン事件」が起きた。この教訓を忘れてはならない。イスラム教寺院が危険な兆候を示している場合には、各国は査察に入ることをためらってはならないのである。
未来世界に採用されると予想するノム思想は、科学に最大の根拠を求める思想である(20.9.7「ノム思想とは?」)。科学ではまだ解明できていない複雑系事象である政治などについては、現実主義が採用される。つまり解決に最も有効だと思われる手法を、経験則に従って採用する。それにはイデオロギーに基づく原理主義は排され、最有効な手法が採られることになるだろう。例えば上記した妊娠中絶の問題については、良い悪いの二者択一ではなく、ケース・バイ・ケースの柔軟な対応が取られる。例えば強姦により妊娠した人には無条件で堕胎が認められる。欲望という過失から妊娠した人には、堕胎を希望した場合も堕胎せずに出産した場合も、それ相応の罰を受けるだろう。それは犯罪というものではないため、人格点の減点という形での罰となるだろう。こうして未来世界では原理主義というもの自体が無くなることになる。
(6.21起案・10.28起筆・終筆・掲載23:15・追記23:45)