【時事評論2024】
宗教の自由
2024-05-14
前項で「宗教」について触れたが、これについてはこれまでほとんど項を設けていなかった(21.2.2「宗教における時代錯誤な教えと掟」・5.13「人の意識」)。それは宗教に触れることは、その信者にとって耐えがたい屈辱になることもあり、うかつに持論を述べることはできないと考えてきたからである。だがこの問題を避けて通ることはできないことは、ノム自身がよく自覚している。今回は宗教論を述べる前に、「宗教の自由」という限定した範囲で持論を述べてみたい。
多くの国で宗教の自由は認められているが、国家によっては「国教」(国家が基本的な理念として持つ宗教)を定めたり、中国のように基本的に宗教を認めない国もある。国教を定めているからといって、その宗教を全国民に強いている例はほとんどない。ある程度は宗教の自由は認められていると言っていいだろう。今日のニュースの中で、日本の「つばさの党」という得体の知れない党の党首が、選挙の自由妨害の疑いで逮捕された。警察から警告を受けたあとも妨害行為をしたとのことで、悪質だと判断されたようだ。頭髪をへんてこに結っており、それだけで不真面目さが窺がわれる人物である。だがもっと悪質な選挙妨害が各国で行われている。米国然り、ロシア然りである。宗教についても弾圧が行われている。ニュースで知る限り、中国が最も顕著であり、イスラム教を信じる回族の建てたモスクを中国風に建て替えさせた。それ以前から、キリスト教の教会の十字架を撤去させたりしている。
宗教はその国の精神的基盤となっていることが多く、日本では戦後に米国から憲法を押し付けられたために国教を定めてはいないが、「日本教」という暗黙の宗教が日本の精神的基盤にある、と山本七平が指摘している。なるほど、と感心する見解であった。米国では今でもキリスト教徒が多いとされるが、それは移民の多くがカトリック教徒であることも関係しているだろう。首都ワシントンでは移民の方が多くなったと最近の報道にあったが、1972年の全米調査では、宗教はキリスト教と答えた人は92%に及んでいたのが、信徒数は減少の一途を辿っており、2020年ではキリスト教と答える人は64%にまで減り、無宗教と答える人が30%に及んでいる。その背景には、科学の進歩とその知識の価値が宗教を上回っているからだろう。
宗教の影響の強いのはアラブ諸国であり、いずれもイスラム教が中心となっている。イスラム教は増加のペースが最も速く、信者の数は2010年の16億人から2050年までに27億万人に増える見通しだという。世界人口の23%から30%に増える計算になる。その背景には、イスラム教徒が頑なに戒律を守っていることや、貧しさから人口増加率が著しいことが挙げられる。閉鎖空間であるとされるパレスチナのガザ地区では人口増加率は2.8%であるとされる。乳児死亡率が2.1%に達していることからすると、実際の出産はもっと多いと見られる。貧しいがゆえに信仰に頼ることがより強くなっていると思われる。2008年の段階で、住民の80%が外国からの支援に頼っている状況だったという。現在はほぼすべての住民が支援に頼っており、しかもイスラエル軍により移動を強いられているため、飢餓が始まっているとも言われる。それでも住民のアッラーの神に対する信仰心は揺らいでいない。
宗教はかつて共産主義では「アヘン」と揶揄された。共産主義という社会統制の強い体制でも、宗教だけはてこずったからであり、彼ら信徒を狂信者と見做した。ソ連時代には無神論を掲げるボリシェヴィキが実権を握る。これはロシア正教会に対する大弾圧の始まりとなった。共産主義に抵抗する者の多くは白軍とともに殲滅され、殺害されるか国外に亡命するかカタコンベ系諸正教会として地下で活動するかのいずれかを選択せざるを得なかった。聖職者や信者が外国のスパイなどの嫌疑で逮捕され、また多数の者が処刑されたという。生き埋めにされたうえで銃殺された者もいた。モスクワ総主教ティーホンは現実的姿勢に転換し、ソヴィエト政権をロシアの正当な政府と認め一定の協力を行ったが、教会の活動はなお著しく制限されたという。そしてロシア正教は生き残った。2010年現在のロシア正教会は約9000万人の信徒数を擁するという。
宗教は弾圧しても消滅することはない。それはその国の歴史の上に成り立ったものであるからである。そこで宗教の自由を維持しながら、宗教の異端性を排除していくためには、米国にみるように、科学を中心とする普遍的価値を高めていくしかないであろう。そして宗教よりも魅力的な思想が、新たに作られるしかないであろう。だがノム自身は「ノム思想」がそれに当たると考えてはいるが、ノム思想にそれほどの魅力があるとは思えない(20.9.7「ノム思想とは?」)。宗教的パッションがないからである。だがもし、ノム思想と矛盾しない形の新たな宗教が興ったならば、それは人心を魅惑するものになるかもしれない。未来世界では、その時点においても、宗教の自由は確保されなければならないが、暴力を伴う特定の宗教の信者による行為は、一般の暴力犯罪以上に厳しく取り締まられることになるだろう。宗教は個人のものであり、政治は全体のものであるからである(21.4.22「全体主義と個人主義」)。
宗教は弾圧しても消滅することはない。それはその国の歴史の上に成り立ったものであるからである。そこで宗教の自由を維持しながら、宗教の異端性を排除していくためには、米国にみるように、科学を中心とする普遍的価値を高めていくしかないであろう。そして宗教よりも魅力的な思想が、新たに作られるしかないであろう。だがノム自身は「ノム思想」がそれに当たると考えてはいるが、ノム思想にそれほどの魅力があるとは思えない(20.9.7「ノム思想とは?」)。宗教的パッションがないからである。だがもし、ノム思想と矛盾しない形の新たな宗教が興ったならば、それは人心を魅惑するものになるかもしれない。未来世界では、その時点においても、宗教の自由は確保されなければならないが、暴力を伴う特定の宗教の信者による行為は、一般の暴力犯罪以上に厳しく取り締まられることになるだろう。宗教は個人のものであり、政治は全体のものであるからである(21.4.22「全体主義と個人主義」)。
宗教が誇示する荘厳な建物は、宗教者や信者の誇りとなっている。そうしたものが、宗教心を煽っていることは確かなことであり、もし未来世界が宗教という組織的なものを排除していくとすれば、少なくともこれから建てられる宗教建造物が規制の対象になることは考えられるし、考えておかなければならないことである。中国は共産主義の権威維持にとって、宗教的建物が脅威となることを見抜いていた。それ故に、回族(イスラム教)の300年の伝統を誇る建物を取り壊させ、中国風のものに建て替えさせた。だがそこには信者は集まろうとしなくなったという。それはそれで大きな効果を上げたわけだが、ソ連時代のロシア正教徒が地下に潜ったように、中国でのイスラム教が途絶えるわけではない。そうした強硬策をした上で、価値観の転換政策が上手くいかなければ、宗教というものは無くならないのである。未来世界では、数百年という時間を掛けて、世代交代を待って、価値観を転換させる政策に重点が置かれることになるだろう(22.8.7「価値観の転換に必要な競争意識の排除」)。
その際に、歴史的な宗教建物を文化財として、あるいは歴史的遺産として残していくかどうかは、長い時間を掛けて国民の同意を得て決定していくべきであり、性急な取り壊しは、中国の文化大革命と同じ悲惨をもたらすであろう。そもそも未来世界では地上に高い建物は建てないという大方針がある(21.2.9「田園都市構想」)。信仰の自由・宗教の自由は確保されつつも、権威の象徴としての遺産はなくしていくべきであるとノムは考える。最近ウクライナで、ソ連時代の記念碑が取り壊されたが、これも同じ意味であると考えると、参考になるかもしれない。歴史的遺産は十分に写真や図面などで残されており、そのものを遺しておくことが、未来世界を築く上で障害となると考えるならば、それは取り壊される運命にあると考えるべきであろう。
(5.13起案・起筆・5.14終筆・掲載0:30・追記)