【現代寸評】
【現代寸評】中国が脳死患者を人体実験に使う
2025-09-02
数日前のニュースに、中国で「ブタの肺のヒトへの移植」が行われたというものがあった。勿論世界初である。しかも成功したと中国メディアは報じたが、患者が死んだのか、生きながらえているのかも「Record China」は報じていない。結局実験は失敗であり、家族の希望で終了になったという。中国医学会としては実験を継続したかったのであろうが、余りにも酷い苦しみを患者に与えたため、家族がもう耐えられなくなったと思われる。実験は9日間で終了され、その後の患者の様子は報じられていない。これではまるで患者がモルモットのように扱われたと言っても過言ではないのである。こうしたニュースは本来は医学会が1年後に発表すべきものであるが、医学誌に掲載されたために一般に知れるところとなった。メディアも人の命や幸福よりも技術の革新に重点を置いていることが、この記事ではっきり分かった。つまり患者がどうなったかよりも、医学的意義を高く評価したのである。
さらに問題は、患者自身があらかじめ脳死と診断されていたことである。重度の頭部障害により脳死と診断された39歳の男性であり、家族の同意と病院の倫理委員会の審査監督を経て、広州医科大学第一附属病院の臓器移植チームが行い、科学雑誌「ネイチャー・メディシン」で発表されたそうだから、患者のその後についても触れられていたのかもしれないが、報道はそれを敢えてカットした。こうした状況から考えられることは、患者自身の同意は無かったということになる。無意識の人間を実験に使うということは、倫理規範を別にすれば合理的で、実害も少ないと見ることはできるだろう。だが中国が今喧伝している反日映画の『731部隊』に関連した映画に出てくる「マルタ(丸太をもじった被験者)」と同じではないだろうか。中国としては「倫理的問題が少ないだろう、すなわち失敗しても状況は大して変わらない」と考えて許可したのであろうが、それならなぜ家族は「やめてくれ」と懇願したのであろうか。記事は詳細に経過と技術的問題をのみ述べているが、患者に相当な苦しみ(自覚できていなかったと思われる)を与えたであろうことは想像できる。重度の肺水腫が発生したということだけを見ても、呼吸困難状態が長く続いたようだ。拒絶反応も出てきたため、「家族の要望により」実験は中止されたという。実際に家族の要望だったのか、医師団が見放したのか、中国では真実を知る術はない。
ノムは人間生命尊重主義を採っておらず、人間の死は運命論の範疇で考えており、生命そのものを重要視していない(23.6.24「人間生命尊重主義の蹉跌」・23.11.7「イタリアが間違った生命尊重主義を政治に持ち込む」)。人間の場合その生き方が重要なのであり、死に当たってはできるだけ短い苦痛で済むことを重要視している。そのため老後の安楽死、あるいは回復の見込めない難病患者などの自己決定安楽死を認める制度を提唱している(20.11.8「安楽死をどう考えるか」・24.2.6「安楽死制度」)。上記の実験について言えば、脳死患者については自己決定ができないため、家族が代わりに決定することになる。脳死患者は安らかに死ぬことが出来たはずである。だが今回の手術は脳死状態を回復させる目的で行われたわけではなく、移植肺が機能するかどうかを試す実験であった。その結果、患者は意識の無い状態ではあったが、無用の苦しみを与えられたことになる。
こうした酷い実験がなぜ行われたのかというと、2つ理由があるだろう。1つは医学会における競争であり、世界で最初の事例ということに重点が置かれたためである(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」・21.1.31「良い競争と悪い競争」)。2つ目は医師団に名誉を求める動機があったということにある(23.9.29「科学者の功名心」・24.4.7「地位と名誉」)。もしかしたらノーベル医学賞を狙っていたのかもしれない。そして背景として、中国という特殊な独裁体制が、やはり国家の名誉を高めるために、最先端の実験を承認した可能性がある。結論から言えば、今回のケースでは、脳死患者に対して密かにではあっても安楽死を施すべきであった。中国では安楽死制度が悪用される恐れがあり、ノムの考えるような安楽死制度にはならないため、もし中国が安楽死制度を制定するようなことになれば、世界中から懸念と非難が寄せられるだろう。反体制人間や経済的負担になる重病人を処理する口実に使われる可能性があるからである。中国では多くの人が闇に葬られていることを考えると、今回もそうするのが中国的だった。また今回のような異種間臓器移植はやるべきではないと考える。それは高額医療に匹敵するものだからである(20.2.27「高額医療は国家を破綻させる」)。ノムは原則として臓器移植自体に反対している。高額医療を招き、大して寿命を延ばせるわけでもないのに、医療技術の進歩の為にと称して、やみくもに新たな臓器移植が試みられている。日本の偉大な研究者である山中伸弥には悪いが、臓器移植は不必要で国際的な臓器売買ビジネスを肥大させ、その中で違法で非人道的な事が行われ、貧者が臓器を売ることさえ起こるようになり、場合によっては拘束者から臓器が奪われるような事態にさえなっている。本来の医療の本筋から離れて、独自の経済的マーケットが形成されてしまった。
ノムは”親知らず”を奥歯に移植した。これも臓器移植に入るのだろうが、自己完結しており、他者に迷惑を掛けてはいないし、犠牲にもしていない。治療費も医療保険の範囲であり、高額ではない。そのため移植全てを否定しているわけではない。だがiPS細胞の発明によって、現在は自分の細胞から作った臓器を使った臓器移植に移行しつつある。そうなるとこれは高額医療の範疇に入ってしまうことになる。ノムとしては、健保に医療費の限度額を設けておくべきだと考える。それは1回のみで100万円以内とすべきである。そうすれば、自分の蓄えと資産に応じて治療を受けることになり、億単位のカネが掛る医療を受ける人がいたとしてもそれによって国家が傾くことはない。一時、国は1回の服薬が億単位の薬を保健薬として認めたようだが、国も財政危機になって、やっと見直しを始めている(20.2.27「高額医療は国家を破綻させる」) 。ノムは老人性難聴であるが、一時人工内耳を考えたことがあった。数日の入院程度で済むようだが、その時間のロスが大きいと考え、また治療費は頭蓋切開を伴うので高額になると考え、運命のままに放置することにした。今は私費で買った補聴器でなんとか過ごせており、不便ではあるが、大変ありがたいことだと感謝している。もし健保に上限が設けられていれば、最初からこうした手術を考えもしなかっただろう。
未来世界では、医学の進歩を禁じはしないが、膨大な研究費を掛けて医学研究を促進させるよりも、環境の改善や人々の生活の改善に予算を回すことを優先する。科学の進歩についても同様であり、宇宙に関して膨大な予算を投じて研究することは無くなるだろう。それらの予算を世界の貧富の格差の是正のために、教育援助などに投資すれば、より良い世界が築かれる可能性が高まるからである。人間は競争というある意味では本能的な動物的行動によって、誤った道を歩んでいる。競争が特許や名誉を与えることにより、人や国家は競争に走ることになる。世界では領土獲得競争さえロシア・米の間で繰り広がれるようになった。まるで時代が後退したかのような感がある。そして医療は人類に欠かせない技術であるとして、世界の誰もが医療の進歩を否定していない。だがその裏には、膨大な予算とエネルギー、そして資源の浪費(デポジット医用品)がある。それは地球温暖化と密接に結びついている(22.12.6「過剰医療は人間を滅ぼす」)。未来世界では無用な人間生命延長(不老長寿の願望)を認めない。人間は死ぬべき時を悟ったら死ぬべきなのである。医療は命を救うことだけにあるのではない。如何に人間が満足して死ぬかを支え導く役割があることを知らなければならない(21.10.26「未来世界の医療」)。
(8.27起案・9.2起筆・終筆・掲載15:40)