【時事評論2022】
国連が無能な理由
2022-03-12
前項で国連の無能について述べた(3.11「国家による経済制裁は現代では正義・未来世界では悪義」)。それがなぜ生じたのか、そしてなぜこれまで放置されてきたのかについて検証してみたい。その主な理由が、国連が戦勝国(特に米国と英国)によって素案が作られたからである。その歴史をかいつまんで説明するとともに、戦勝国が規定した戦後体制というものが、その時には事態を収めることに有効に働くが、普遍性や合理性に欠くために自己矛盾を来し、ついには崩壊するという必然性があるということを念頭に置いておくことが重要である。
まず国連の前身とも言える国際連盟の説明から始めたい。国際連盟は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、日本・ドイツ・イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった。第二次世界大戦中の1941年、米ルーズベルト大統領(まだ未参戦。1935年の「中立法」)と英ウィンストン・チャーチル首相が会談し、イギリスが戦勝することを前提として「大西洋憲章」を提唱した(正式文書はない)。これは戦後を見据えた崇高な高いレベルに立った理想であった。①領土不拡大・②民族自決・③貿易障壁の撤廃・④海洋の自由・⑤侵略国の軍縮と世界の軍縮、が主要点である。特に③の貿易障壁の撤廃は、第一次世界大戦後に起きた敗戦国への懲罰的貿易規制を意識したものであった。重要なことは、これを契機に米国がヨーロッパに武器援助を開始したことである。そして1941年に日本が真珠湾を奇襲攻撃したことによって、米国も太平洋戦争(第二次世界大戦)に参戦することになった。
戦争過程の説明は省くとして、米国は参戦後ただちに戦後体制を構築するための素描図の作成に着手した。1943年3月には「国際機構憲章草案」がほぼ完成。コーデル・ハル国務長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章草案」が完成する。そのことからハルは「国連の父」と呼ばれている。10月にはモスクワで開かれた米英ソによる外相会議で「一般的安全保障に関する4ヵ国宣言」が出された。その後のカイロ宣言(米英中)・テヘラン宣言(米英ソ)では、戦後の「4人の警察官(米英ソ中)」が構想された。1944年8月〜10月にワシントンで米英ソ中の代表が会議を開き、国際連合憲章の原案を作成した。ここで、加盟国全部を含む総会と、大国中心に構成される安全保障理事会の二つを主体とする普遍的国際機構を作ることが合意されたのである。すなわち、後に戦勝国となる4国家が決めた合意であって、世界が決めたものではない。
1945年2月に開催されたヤルタ会談において、大国の拒否権は実質事項のみで、手続事項には適用されないこと、紛争の平和的解決が試みられている間は当事国は表決に加わらないとの妥協が成立した。またイギリスの希望によりフランスを加えた5ヵ国が拒否権を有する安保理常任理事国となるという「5大国一致の原則」が合意された。1945年4月から6月にかけて、連合国50ヵ国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開いた。6月26日、51ヵ国(ポーランドは後から)が国際連合憲章に署名して会議は終結。こうして1945年10月24日に、国際連合が正式に発足した。当時は戦勝国が力を持っていたため、世界はこれで平和が来ると喜んだ。だがその後の力の均衡が崩れ始め、中国が国連を無視して独走を始めると、それを止める仕組みがないことに世界は気が付いた。しかも現在の中国(中華人民共和国)は本当の戦勝国ではなく、台湾からその名誉と地位を奪ったのである。そのなりすまし中国が専横を振るい始めたというのは皮肉というしかない。
こうした経緯をみると、国連は決して高邁な理念から出てきたものではなく、戦勝国に都合の良いように作られたことがわかるであろう。そうであるならば、一刻も早く改訂すべきであったが、なぜか5大国はそれをしなかった。既得権益を守るためである。本来ならソ連が崩壊(1991年)した時点でアメリカは別の国を常任理事国に加えるよう動くべきだった。当時として最も相応しかったのは日本であろう。当時世界第二位のGDPを誇り、平和に徹する姿勢を堅持していたからであり、また日米同盟を結んでいることから米国にとっても援軍になったはずである。だが米国は長いこと日本が再び強敵になることを恐れてきたため、自分からそうした動きをしなかった。これは失策と言えるであろう。何よりも最大の失策は、代表権問題で中国にしてやられたことだろう。これについてもう一度振り返っておきたい。
国連発足時に中華民国(現在の台湾)は中国本土で共産軍と戦争中であり、その後中共軍に押されて台湾に逃れた(1949.12.7)。台湾はかつてオランダとスペインに支配された時期があったり、大陸の明系の鄭政権(1661-1683)が統治したこともあり、その後清(1885-1895)が領有し、日清戦争後に日本が委任統治(1895-1945)した。日本の敗戦でまだ中国本土を支配下に置いていた中華民国に再所属し、国民党の蒋介石が敗走して台湾に遷都したが、中共政権はこれを認めず、中国の領土と今でも主張している。この遷都時点で中華民国は戦勝国に認定され、国連の常任理事国となった。本来ならこの時点で独立宣言していれば、現在のような問題は起きていなかったのかもしれない。だが蒋介石は負け犬の遠吠えのように中国大陸も中華民国に属すると強弁しつづけた。これにより中国を代表するのはどちらか、という問題が発生することになる。一方中共政権は大陸本土をしっかり統治したため、台湾の地位を奪取しようと国連に働きかけ、中華人民共和国(以下「中国」)が国連に中華民国の追放を最初に提起したのは1949年11月18日であり、以後「中国代表権問題」と呼ばれ、長らく提議されては否決され続けてきた。転機となったのは、米国がベトナム戦争において泥沼化し、北ベトナムとの停戦交渉を進める中で、中国の協力が必要となったためである。米国は中国の協力を得るため、国連安保理常任理事国の継承は合意したが、中華民国の国連追放までは考えていなかった。米国は1971年9月25日に「二重代表制決議案」を国連に提出したが、中国がアルバニアを経由し「国府追放・北京招請」決議案を同日に第26回国連総会に提出したためこちらが先に審議され、10月25日にアルバニア決議案が賛成76・反対35・棄権17・欠席3で通過したため、米国の二重代表制決議案は審議すらされずに棄却された。後に中華民国は、国連(及び加盟する各専門機関)からの脱退を宣言した(年月日不明)。
台湾は李登輝時代の1993年から、毎年国連に復帰を求めてきたが、中華人民共和国からの圧力のため実現しなかった。2007年7月19日に陳水扁は初めて「台湾」名義による新規加盟の手続きで国連加盟を申請したが、潘基文国連事務総長は、本決議を根拠に申請を不受理とした。中国は、「一つの中国」をスローガンとして掲げ、同決議を根拠に諸外国へ中華民国(台湾)との国交断絶を迫っている。2021年10月25日に台湾は、「国連は決議内容を拡大解釈して、台湾を排除している」として、是正するよう要求した。これに続いて10月26日には米共和党のジム・リッシュ議員が「中国はアルバニア決議を使って台湾を国連や関係機関の参加から不当に排除するばかりか、台湾人が国連ビルに入ることも阻止している」との声明を発表した。さらに10月27日には米国のブリンケン国務長官がコロナ禍に関連して、台湾が国連機関に参加することを支持している。
これらの国連の動きは、中国やロシアという異端児に対してその力を恐れる余り、忖度して正当な判断を下していないことを証明している。誰しもが常識的に考えて、終戦時に戦勝国に加えられた台湾がその後も発展してきているのに、国連再加盟が出来ない状況というのは異常であり、国連が本来の役割を果たしていないことを証明している。すなわち無能なのである。その理由はただ一つ。中国を恐れているからであり、中国もまた巧妙に世界各国に経済的繋がりを深めると同時に、暗に政治をも主導して中国の利益を確実なものとしようとしている。中国を潰さないかぎり、永久に平和は人間界には訪れない。