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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20)

【時事評論2020】

国連が崩壊の兆し

2020-09-24
  国連(国際連合)は第二次世界大戦を受けて世界の主要国が、戦後の体制を安定化させようとして、国際連盟の欠陥を改善して作った国際機関である。それはある意味では人間の戦争に対する忌避感から生まれたものであり、善なる心から生じたという一面もある。だが決定的に間違ったのは、国際連盟で露呈した各国主権の問題を解決しようとせず、先送りしてしまったこと、そして戦勝国に有利な形で安保理(安全保障理事会)を形成したこと、そして敗戦国条項というものを残したことである。さらに敢えて付け加えれば、世界に競争原理を残したことが決定的な矛盾をもたらすことになった。だが当時、主権の問題を真に理解していたのはほんの一握りの人だけであり、それを本当に理解していたのはエメリー・リーブスという女性ただ一人であったかもしれない。彼女は主権が分散しているかぎり、必ず戦争が起きると主張した。
 
  だがそれら様々な問題は当時の状況としては解決できる状況になかった。まだ人間界にネットワークと呼べるような体制が築かれていなかったからであり、世界の意思は各国でバラバラな状態のままであり、意思疎通が困難であった(電信しか通信手段がなかった)。筆者としてはそのような当時の状況から考えれば、国連の設立は最善の選択であったと考えざるを得ない。だがその後の技術の発達により、現代では世界のネットワークはほぼ完成し、意思疎通もテレビ会議で即座にできる時代になった。今こそ新たな国連に改革していくべきチャンスである。だが最初に述べた主権の問題だけは改善するにはまだ機が熟しておらず、どの国も自国の主権を放棄しようという国は一国もないであろう。二番目、三番目は改善可能であり、安保理の問題はその上位機関である国連総会で議決すれば可能であるが、世界の主要国であるアメリカも中国も戦勝国であることで特権を得ているため、改善する気はないと言えるだろう。改善を提案する資格があるのは敗戦国である日本であり、日本はその提案をするだけの国力を備えており、また精神的・思想的指導力もあると考える。それは日本が戦前から唱えていた、世界共助の精神である。当時はアジア(大東亜共栄圏構想)に限定されていたが、それは世界に敷衍できるものである。
 
  だが現状は、筆者の認識とは程遠く、最初の設立時の矛盾が露わになった状況にある。つまり国連というものが、各国が自己主張だけを表明する場になり、中国が自国の利益だけを優先する策略を実現するために国連を利用するという戦略をとったことで、中国による専横が目立つようになった。それがコロナ禍で見られたテドロスWHO事務局長の行動に見られた。もはや国連は協調・妥協の場ではなくなり、主張・覇権の場となった。9月21日の国連総会で、マクロン仏大統領は「(国連の)基盤は崩壊しつつある」と述べ、カナダのトルドー首相は、「われわれは危機的状況にある」などと悲観的な感想を漏らしている。それは当初から予想された事態であり、それが丁度75年という月日を経て露わになったというだけの話である。そしてこのような事態になるのが必然であるのは、最初に述べた競争原理を前提にしたことにある。戦後暫くはアメリカとソ連の思想的・体制的対立として始まり、この競争は経済競争という形で西側の勝利に終わった。次に現れたのは体制競争である。ソ連の共産主義を受け継いだ中国は毛沢東時代に独自の毛沢東思想を掲げ、鄧小平の時代に資本主義を取り入れて修正化を図り、経済競争と体制競争を絡めた。それは目下のところ中国に分があり、アメリカは劣勢を撥ね返そうとトランプの時代になって反撃を試みている。それは総攻撃という形にならざるを得ず(002「第三次世界大戦の可能性」参照)国連はこのような事態に対して何の役割も果たせないどころか、国連自体が闘争の場に変容しつつある。
 
  システム(国連もその1つと見做せる)というものは初期条件によってその安定度が決まる。国連は極めて不安定な状態になるように作られたものであり、初期条件に大きな矛盾があった。今さらそれを変えるということはもはや不可能であり、一旦解体して新たな国際組織を作ろうとしたところで、現在の国連の基本的体制を変えられるような理念は今のところ見当たらない。アメリカと中国の体制衝突は雌雄を決するしか他になく、新しい国際組織を作るにしてもその後にならざるをえない。だが筆者は新しい国際組織というものが、各国に主権を認めるというものである限り、それはまた同じことを繰り返すことになると考えており、主権を1つにまとめるという案しか賛成できない。それは世界連邦の形成という形になる(006「世界連邦形成の可能性」参照)。各国という自治組織を残しながら、連邦だけが最終決定権を持ち、しかも唯一連邦が保持する軍力によってそれを強制できる組織である。それは世界に安定をもたらす唯一の方法であり、江戸時代はそれを実現していた。だが江戸時代も西欧の開国要求でその夢は破られた。世界に競争がある限り、たとえ連邦が形成されてもそれは矛盾を来すであろう(9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」参照)
 
  追加して現状を振り返ってみたい。現在のアントニオ・グテーレス事務総長(ポルトガル)はこれまでの国連の歴史の中でも最も真剣に真摯に紛争解決や地球温暖化に取り組んできた。その涙ぐましい努力には敬意を表したい。だがその前の潘基文(韓国)は国連史上最悪の事務総長であったという評判である。なぜかというと、韓国の利益の最大化を図ったからである。なぜこのような人物が国連事務総長に選出されたのかその過程を知らないので、選挙制度自体に問題があると言わざるを得ない。また歴史遺産と称して過去の負の遺産を勝手に決めつけ、関係国に不和を生み出しているのは本末転倒と言わざるを得ない。国連は9月28日、北朝鮮が同国の核開発計画に対する国連制裁に違反し、制限量を超える石油の輸入や、海外への労働者派遣を行っていると指摘した。だが違法に取引した国については公表していない。それは該当国からの反発を恐れているからである。さらに制裁に協力した国がたったの40ヵ国であったことは、やはり国連の無力さを象徴している。アゼルバイジャンとアルメニアとの戦争についても無力であった。このように全ての世界の案件に対して無力なのであれば、少なからずの予算を国連に注ぐことに意味はないことになる。特にユネスコが世界遺産を以て世界に不和をもたらしている現状は許されるものではない。グテーレスはとても可哀そうな立場に置かれ、地球温暖化問題では少女の協力を仰がなければならないほどであった。だが本質的な問題は小手先の小細工ではどうにもならないのである。(9.29追記)
 
 
 
 

 
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