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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

因果応報

2024-05-07
  前項で「因果応報」という言葉を用いたが、それを説明する項目がないことに気付いた(5.6「精神的健全性が社会行動に及ぼす影響」)。だがとっくにその項目は予定していたのである。そのため、起案は2021年5月であるが、今回改めてこれについてまとめることにした。

  「因果応報」という言葉は、より普遍的な「因果律」や「因果性」という事象の普遍性を人間の行動に当てはめたものであり、良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくる、という言わば警句のような意味合いになっている。仏教の思想から出てきた言葉であるとされる。一般には悪い方の意味で使われることが多い。「因」は原因のことを指し、「果」は結果のことを指す。良い報いを「善果」、悪い結果を「悪果」と表現することもある。因果律は確率的に証明され得るであろうが、一般に科学的には単純な事象での証明は可能だが、複雑系での証明は難しい(21.1.19「複雑系実験の難しさ」)。確率的に有意の場合に、因果律を当てはめる場合が多い。だが経験論では、これはかなり説得力のある警句であり、「自業自得」も同じような意味に使われるが、もっぱら悪い意味で使われている(21.8.30「経験論」・23.12.6「自業自得」)

  だが中には、自分は何も悪いことをしていないのになぜ災害に遭わなければならないのだ、と疑問を持つことがある。特に天災・人災・戦争に遭遇した人は、そういった恨み節めいた感覚を覚えるかもしれない。それを説明し得るのは「運命論」だけであるとノムは考えている(20.11.7「運命論」)。災害に遭った人にこの言葉で応えるのは無責任と受け止められるかもしれないが、事象が状況論と確率論で説明されるというノムの考え方からすれば、それ以上に答えようがない(21.1.18「状況理論」・23.11.4「確率論」)。そして、運命は人間の努力なりで変えられるものであるが、人間の力の及ばない運命的事象については、諦めて受け入れるしかないのである。

  善い行いをすれば、確率論的に良い結果が得られるというのが経験則から人間が学んできたことである(21.11.26「経験科学の勧め」)。だが善い行いというものが、その人の価値観に基づいている善から出たものであるとすれば、それは時として誤った解釈となるだろう。カエサルは「人は自分が望んでいる者はいともたやすく信じ込んでしまい、自分が考えていることは人も同じだろうと思ってしまう」という名言を遺している。自分が善いと思うことが、科学的に最良であるとは限らない。そうした思い込みを持つ人は、因果応報を正しく理解することは難しいかもしれない。

  世界的に観ると、人類レベルでは、人間は自分たちが犯してきた過ちの報いを現代で受けようとしているように見える。すなわち、自然の摂理を無視した贅沢三昧で人類の最高の繁栄を謳歌しているが、その結果、地球温暖化を引き起こしており、その報いは人類の絶滅の可能性をも含んでいるだろう(20.11.23「地球温暖化と動物窒息死の問題」)。人間が地球上で他の生物と同様、ささやかに慎ましく生きていれば、こうした事態にはならなかった。だが人間は知能を持ったために、あらゆる技術を駆使して最高の栄華を誇っている。それは聖書で言うところの、「善悪を知る木の実」を食べたアダムとエバの物語に象徴されていると考える人もいるかもしれない。その比喩からすると、人間がこれから遭遇する大災厄は天罰というようにも捉えられる。

  もし人間が、節度と本当の智慧を持っていたならば、こうした人間中心の独善的行動がもたらす災厄を予期できたかもしれないが、人間が獲得した知能は不完全なものであったために、そうした予知はできなかった。だが科学によって、地球温暖化が証明されるに及んで、世界はそれを食い止めようと、一部の学者や国連や各国が取り組んでいるが、それもまた限定的なやり方であって、人間の傲慢さを放置したままであるため、既に地球環境は元には戻り得ない臨界点を超えたとノムは考えている。それは2100年を待たずに明らかになるだろう。

  因果応報が人間の経験則から出てきたものであるとすれば、それが個々の人間にとっての警句に収まらず、人類全体への警句として受け止める必要がある。だが既にこれを改善する適切な時期を過ぎてしまった。ノムの感覚では、2000年がその最後のチャンスであったと思う。その頃も世界では地球温暖化の危機は叫ばれていたし、1992年には地球環境問題を深刻に訴えていた米国のアル・ゴア副大統領も登場していた。だが2000年の米国大統領選では、米国民はゴアを退け、ジョージ・W・ブッシュ大統領を選んだ。2001年9月11日の米国の同時多発テロ事件によりブッシュが「テロとの戦い」を宣言したときは、米史上最高の91%という支持を与えた。環境よりも戦争を選んだ最強国の選択が、今日をもたらしていると考えることもできるだろう。それは米国民に留まらず、全人類に災厄をもたらすことになるだろう。だが責任が米国にあるというわけではない責任は全人類にあるのであり、結果もまた全人類が負わなければならないことになる。

(21.5.30起案・24.5.6起筆・5.7終筆・掲載)


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