本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

中国に実在する女系社会

2024-05-03
  5月3日のJNNのニュースの中で、中国の少数民族の中には、女権社会があるということが紹介された。代々の伝統だというが、中国のような規律の厳しい国で、こうした独自の社会があり得るということに驚いた。そしてその社会には結婚制度というものはなく、男は遊んでいるだけで働かないという。ハチやアリの世界と同様であり、男は生殖のためだけに存在していると思われる。こうしたことからも、結婚制度というものが、社会的に作られたものであることが証明されたと言えよう(23.8.18「結婚制度」)。今回はこの番組を参考に、社会における権力・支配・労働、というものを考えてみたい。

  中国に、「女性の国」と呼ばれる場所があるという。そこでは「女が働き、男は毎日遊んで暮らしている」「男女は結婚せず、性的束縛関係はない」…らしい。中国南部の雲南省の険しい山をいくつも超えた先に瀘沽湖(ろここ)がある。そのほとりに、「女性の国」がある。約5万人の「モソ族」という少数民族が作る街だ。「家父長制」という言葉はあるが、「家母長制」という言葉はない。母系社会、もしくは女系社会と言った方がいいのだろう。この地区では1500年も前からこうした社会になっていたらしい。女性が代々家長・家督を継ぎ、土地も財産も全て、母から娘へと受け継がれる

  考えてみれば、女の方が真面目で、家族のことを最も心配しており、家族を養ってくれるのに相応しい存在と言えるだろう。男系社会でも家では主婦が事実上の長となっている。女はちゃんと計画を立てて、管理もしっかりしている。この民族では女が一家の主でなくてはならないし、尊敬されなくてはならないのだという。住民の高齢女性は「それが私たちの習慣なのです」と誇らしく言う。

  この地域では、女が家事に加え、お金の管理や冠婚葬祭など、家のことすべてに責任を負っている。大家族の財産を管理するのは大変なことなので「男はやりたがらない」という。ある家族は87歳の祖母を筆頭に4世代13人が暮らしている。モソ族の間では女の子が生まれると「家が繁栄する」と喜ばれるそうで、一般的な人間社会の感覚とは異なる。男性は母親の意見や立場を尊重しているという。男は夜だけ女のもとへ通い婚という形で繋がっている。モソ族にはそもそも「結婚」という概念がないというのだ。好き合った男女は夜の営みだけを共にするが、昼間はそれぞれ自分の家で過ごすという。男は普段自分の母親の家で暮らし、夜だけ女性のもとを訪れる。「毎日一緒にいると些細なことで喧嘩になりますが、私たちは独立した関係ですから、そういうことはないですね。結婚していないので離婚もありません。お互いに気が合わなくなったら、会わなければいいだけです」と某女性は語る。

  家のことを手伝ってもらいたいときや話がしたいときは昼間でも「夫」は「妻」の家にやってくるという。力仕事は主に男性の仕事だそうです。ほとんど自給自足に近い生活をしているというので、現金収入の重要性は余りないようだ。だが街の写真を見る限り、整った綺麗な家が並んでおり、どうやって家を建てるのかなど、詳しいことは分からない。子どもは母の姓を名乗り、母の元で育てられる。夫は子育てには加わらず、養育費も払わない。夫の稼ぎは自分の母親の家に入れるという。一緒に暮らす姉妹の子どもたちのためにカネを使うという。

  確かにこの制度だと嫁姑問題も発生せず、子どもの親権を争うこともない。「婚外子」もいないし、財産でもめることもない。息子も娘も実家に残るので、親が一人になることもない。極めて合理的な制度に見える、とレポーターは報じている。夫は「自分の子どもより姉妹の子どもに愛情を感じる」という。これは血縁よりも人的関係の方が重要であることを示唆している。「私にとって大事なのは、姉や妹の子どもたちの成長を助けることです。もちろん自分の子どもにも愛情はありますが、それ以上に姉妹の子どもに対する愛情の方が深いのです」と夫は語る。家長を女性が務めることについても「女性の方が細やかで思いやりがあり、家をうまく管理できるから」といい、「自分たちが家長になりたいとは思わない」ときっぱり言う。母から娘へと家が受け継がれることで、家が分裂したり、財産が分散することもないという。その結果、富が集中し、家が豊かになるので良いやり方だとこの部族は考える。

  性的関係については、モソ族は大変恥ずかしがり屋で、誰と誰が通い婚をしているなどを人に話すことさえ、はばかるような人たちだという。モソの9割は生涯を通じ、1人のパートナーしか持たないといわれる。モソ族では正式に「夫婦」になると決める前に女性の家を訪れることはなく、多くの女性と同時に付き合うことはないという。このモソ族はチベット仏教を信仰しており、道徳的に外れたことをするのは、許されていないと思っている。中国の漢族の人たちは私たちの習慣を理解できないと言うようだ。だが漢族は男系社会を作っているため、絶えず争いをしており、むしろ漢族だけでなく、世界がこのモソ族の社会を見習った方が良いのではないかと思わされる。

  モソ族の男たちは毎日遊んで暮らしているという俗説があるが、これは事実なようだ。男の一人に聞いてみると「ほとんど遊んでいる」と即答したという。この日も午前9時だというのにこれから友達の家にトランプをしに行くと言った。妻(?)は決して怒ることはない。一緒に生活しているわけではないからだ。男の意地というものも矜持というものも無いらしい。「モソの男は自由で楽しいよ」というのが答えである。遊ぶカネは母親から貰うというから、もはや言葉もない。一方で、女の方も男からは自由であるため、夫が遊んでいても気にならないのだそうだ。

  「女系家族」が生まれた理由について、モソ族の文化を研究している博物館の欧冠葳 副館長は、▼山に囲まれた閉鎖的な環境だったことや、▼農地や資源が乏しく、ほかの民族との争いがなかったことなどから女系の習慣が守られてきたのではないかと指摘している。これはノムの考える未来の省資源・省エネ生活と合致しており、また諸外国への旅行が禁止されることから、各国という大枠で似たような状況が生まれるかもしれない。またノム思想は競争を排除する考え方を持っているため、女系社会への移行は十分に考えられることである。ただ、ノム族の信仰するチベット仏教のような宗教は未来世界には無いため、ノム思想から生じると思われる人倫の考え方が替わりに必要であろう。

  モソ族には、男だからこうすべき、女だからこうすべき、という常識はないという。常に男女は平等だという。だがこうした良き習俗にも、現代の影響が及んでおり、伝統にも変化の兆しがでてきている。「結婚」を選ぶ若者たちが出てきているのだという。そうした若い夫は「結婚してよかったです。いつも子どものそばにいられますから。それが子どもにとっても一番いいことだと思います」と語る。妻の方も
「一緒に暮らせば子どものことで喧嘩もしますが、私は家族一緒でいま、幸せだと思います」と言い、やはり生活環境の変化がこうした傾向を生み出しているのだと思わされる。

  特に村を出て、外の世界を知った若者を中心に今ではおよそ3分1のモソ族が「結婚」を選ぶそうだ。女が結婚をして家を出ることに抵抗はなかったのかというと、「お互いの家も近いですし、私には3人の姉妹がいますので、ほかの姉妹が家を継いでくれますし、心配はありませんでした。家族も理解してくれました」と、問題は無かったという。村の様子はここ10年で変化しました。道路もでき、交通の便もよくなりました。観光客も増え、モソの人たちの生活も向上しました。一方で、結婚についての考え方も変わりました。若い人には若い人の考え方が生まれているのである。これは状況の変化で習俗も変わることを示唆しており、時代の変化がそれを後押しすることも示唆している(21.1.18「状況理論」)

  漢族の男は結婚に際して結納金が必要だとか、マンションや車を用意しなければならないとか大変なようで、「モソ族がうらやましい」という人もいる。子育てにも同様にカネが掛かり、結婚は大変な重圧だと思っている人が多いようだ。そのため「モソ族の制度をもっと広げたほうがいい」という人もいる位である。漢族の女性にとっても「男女が平等でとてもいいと思います。男女の調和がとれている(21.7.28「役割分担の重要性」)。彼らのやり方は先進的で、理想的なものだと思います。嫁姑問題もないし、子どもを奪い合うこともない。学ぶ点が多いと思います」と言う人もいるという。「モソ族の女性は自由だと思います。働きたいなら働くし、休みたかったら休めばいい。誰も生き方を縛る人はいないし、家族みんなが楽しく暮らせばいいのです」というのが結論のようだ。

  「男は稼ぎ、女性は家庭」「何歳までに結婚しなくてはならない」「離婚は世間体がよくない」「子どもは産まなくてはならない」「跡継ぎは男の子でないと」という現代の一般的な常識が、モソ族という存在で打ち壊された感じがする。モソ族の生き方は、我々をがんじがらめにしている「あるべき」概念を打ち砕き、「もっと自由に、合理的に生きたらいい」と教えてくれる。そしてこれは、ノム思想が目的とするものでもある。ノム思想では婚姻関係についてはっきりとしたビジョンを述べていないが、モソ族の事例は大いに参考になるし、もしかしたら、そうした形に変化していくことは合理的なのかもしれないと考えさせられた。

  社会の権力や支配を女性に委ねるというのも1つの考え方であろう。上記したモソ族の女系社会が、諸々の条件下で成り立つものであり、必ずしも未来世界の条件と一致するものではないことは明らかであるが、現代では既に女性が一定の力をもつようになったこともまた明らかであり、その延長線上に未来があるのだとすれば、女性の役割もまた大きく変化することは間違いないことであろう。家族の在り方が変わることで、社会の在り方も変わる可能性は大きい。これまでは男がその腕力が勝っていることから、男社会が作られてきたというのは必然性があったが、未来世界では既に人間の腕力は必要無くなっている可能性が大きく、女の管理能力がより生かされることになっているであろう。男女は決して同じではないため、両者が共同して社会を創っていく未来になれば、それが双方にとってより幸せなことであろうと考える。

(5.3起案・起筆・終筆・掲載)


TOPへ戻る