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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

権力の範囲とその強制力

2024-05-01
  「権力というものは政治的決定権」というように表現することもできるだろう。その「権力」という言葉自体は17世紀ころに概念化されたというから、大昔の人は権力の存在というものを当たり前のように感じていたのだろう。人が組織を作るようになり、集落というものが成立していった頃から、権力というものは存在していたと思わる(23.12.28「権力者の立場」・4.28「人間集団」)。権力についてはいくつかの項を設けてきたが、総論としての「権力論」というものはまだまとめていない。今回はその権力というものの及ぶ範囲とそれを執行する際の強制力について考察したい。

  冒頭に挙げた定義によれば、政府の政策は法に裏付けられているため、権力は全国民に及ぶと考えるのが妥当である。ただ法律ごとにその適用範囲が定められているため、法の内容によっては全国民に及ばないこともある。では政治的決定以外に、権力者はその権力を他者に及ぼすことはないのであろうか? 勿論そうではないことは多くの人が知っている。組織のトップであることによって、部下を駒のように操り、使いっ走りに使うこともできるだろう(22.12.11「権力の取り巻き」)。周囲からは尊敬の眼差しで見つめられるだけでなく、畏怖の目を以て見つめられることになる。そうした存在である権力者にとって、権力者であること自体が最大の喜びであり、報酬として与えられていることになる(2.18「報酬系の功罪」)。最大の自信と誇りを持つことに繋がり、その心地よさを永久に失いたくないという気持ちも生じる(20.9.30「人はなぜ権力を求め、それにしがみつくのか?」)

  だが権力に対抗する勢力というものが存在するかぎり、権力者の地位は安泰なものではあり得ない。絶えず政敵と闘うことを強いられ、ときには非合法な形で敵を粛正したり、野に追いやることもするだろう。つまり権力というものは、国民全てを律することができない場合もあるということになる。民主主義の世では、人々は政治的不満や経済的問題を政府に突きつけることができる。権力者はそうした不満が出ないように配慮はしているはずだが、物事全てを丸く収めることは不可能であり、必ず受益者と非受益者を生じることから、国民には絶えず一定程度の不満が残ることになる。権力者は不満分子を全て排除することはできないため、一部を見せしめ的に排除しようとする(22.5.2「中国のゼロコロナ政策の失敗」)。北朝鮮ではジョンウンの気に入らない人物は誰であろうと、粛正の対象になり得る。そしてそれを見せしめ的に行うことで、国民に恐怖を植え付けようとしている(20.2.5「中国の恐怖体制あらわに」・20.3.9「北朝鮮の状況が危うい」・20.6.26「報復国家中国への不安と恐怖」・北朝鮮4.27「北が現場学習と称して公開処刑を見学させる」)

  中国は「法治国家」と称して、権力に都合の良い法律を作って国民を金縛りにしている。「国安法」「スパイ防止法」「国家機密保護法」などを盾にして、理由なき拘束を繰り返している。この場合、中国に足を踏み入れている者は全て取り締まりの対象になる。最近ではインドが超法規的手法で、海外にいる反政府シーク教徒を暗殺したというニュースもあった(国際4.29)。権力が国際法を無視するようになると、権力者は国外にまで政敵排除を行うようになる。ロシアのプーチンは典型的な事例である(23.12.29「権力者のパラノイア」) 。尤もこれは、ロシア諜報機関(KGB→FSB)の伝統でもある。表向きには権力の及ぶ範囲はその国家内だけに限られるが、上記のような国際法を無視した独裁者は、権力を国外にまで及ぼそうとするのが常である。

  権力がもたらすものは様々である。勿論善政が行われていれば、権力は尊崇の対象にもなり得るのかもしれないが、北朝鮮ではジョンウンの稚戯的思考からミサイル開発に膨大な投資をしているため、国民が餓死するような有様であるのに、国民がこぞってジョンウンを崇拝しているかのようなプロパガンダを繰り広げ、それを日本のメディアはあからさまに報道している(23.9.8「メディアはなぜ中国のプロパガンダに加担するのか!」)。そして権力は強大であればあるほど腐敗し易く、かならず汚職を生む。中国が汚職国家であることはよく知られているが、中共政権は「法治国家」とうそぶいている。習近平は「汚職追放」を掲げて国民の支持を得たが、当人の汚職については誰も調べようがない有様だ。国家の体制のどの範囲まで汚職構造が広まっているかによって、その汚職の規模を推察することができる。北朝鮮では役人全てが汚職をしており、それはそうしないと役人自身が食べていけないからであるとされる。中国では警官の汚職があるとされ、北朝鮮ほどではないが、かなり大規模に汚職が行われていることが推察される。組織では、下は上を見習うのが常である。上司が優れていれば、部下も才能を発揮しやすいし、上司が腐敗していれば、部下も腐敗する。そうしたこすい根性を持った部下は、隠れて汚職を行おうとするため、不正は拡大の一途を辿ることになる。 

  権力が不正を始めると、それは暴力的なものになる(22.11.22「権力による不正」)それは末端に極端に表れる。たとえば警察官や兵卒である。ロシアはウクライナ侵攻時に、ウクライナからあらゆる物を略奪した。冷蔵庫まで略奪されたが、それが一兵卒によって行われたとは思えない。組織的に略奪が行われたのであり、それは部隊内の秘密とされたと思われる。部隊は拷問部屋を設け、拘束したウクライナ人を拷問した。上司に当たるプーチンはそれを禁止する通達を出していない。責任は権力者トップにあると考えるのが常識であろう。北朝鮮でも同様なことが日常茶飯事に行われている。小役人は賄賂を平気で要求するようになり、警官や兵卒は逆らう者に暴力を振るう。ついには、市民の家に押し込んで、密かに貯めていた食料を奪うようになったようだ。

  権力が強制力を持っているのは、警察や軍をその配下に持っていることから明らかである(22.11.23「権力構造の変遷」)。もし権力と警察・軍が配下になく、横並びになっていれば、権力は強制力を弱められてしまい、弱体化して支持を失う。民主主義で常に政権交代があるのはそうした構造的な理由があるからであり、それは良い面もあるが、一貫性のない悪い面もある。権力が警察・軍を配下に置いていることを宣明しているのは中国や北朝鮮である。こうした独裁国家は長続きすることが多い。中国の場合は「共産党」という名の下に、北朝鮮は「ジョンウン」の名の下に警察や軍が存在する(21.4.3「中国のウイグル強制収容所の実態」)未来世界でも同様な構造が必要なことは言っておくべきであろう。軍の暴走を防ぐにはそれしか方法がないからである。だが未来世界では権力の決定の仕組みがこれら独裁国家とはまるで異なる。国民の意思を間接的に取り入れた直接民主主義的な四権分立という意思決定手法を取るからである(21.3.29「四権分立」・22.1.12「直接民主主義」)。だが決定したことに対しては、不服従は罪とされ、厳しい裁きが行われることになるという点では同じであり、全体主義というものはそうした性格を持つのである(20.4.9「全体主義の優位性」・20.8.6「社会主義と全体主義」・21.8.24「未来の全体主義と現代の個別主義」)

  未来世界では、連邦制度の下に、国家は主権を持たない単なる行政領域となる(21.3.28「世界連邦の可能性」)。つまり権力は連邦政府に集中している(20.12.26「主権論」)。だが各国家には自治権というものが大幅に認められているため、見かけの運営上はこれまでの国家とそれほど大きくは変わらないだろう。ただ資源が配給制になり貿易や人流も無くなることから、国家の指導者は国内運営に政治を振り向けることに集中させられる。経済発展が無くなり、反って経済の縮小が起こるため、国民の不満が溜まる可能性が大きく、精神的満足が奨励されることになるだろう(20.4.25「状況理論からマイナス経済成長の善悪を考える」・21.3.15「物質文明から精神文明へ」)国家は警察能力だけで国民の不満に対応することを強いられる。不満を野放しにしていたらそれは不可能であろう。国民に対しては、あらゆる手を尽くして国家への貢献を求め、それを教育し、奨励していくことになる。またメディアに対する統制も行われることになる(22.9.28「権力化するメディア」)。それでも不満を暴力的行動に表す者が出てきた場合、国家としては強力な強制力を発揮することが許されている。それは暴力的ではない紳士的な指導・拘束・裁き・拘束と更生教育によって行われるだろう(23.10.11「未来世界における人の教育と犯罪者の更生」)。

(3.4起案・5.1起筆・終筆・掲載)


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